― 想いを歌に ―

〜[ハルピュイアとエックス] ロックマンゼロサイドストーリー19〜


 ネオ・アルカディアの中枢ともいえる、静止衛星軌道上に建設された無人宇宙施設の一つ――エリアX。
 エリアXの通路を、ネオ・アルカディアの統治者エックスは足早に進み、転送装置のあるトランスルームへ向かっていた。エックスの後ろをハルピュイアが付き従うように歩いている。
 トランスルームに入ると、トランスサーバのそばに控えてエックスを待っていたファントムが一礼する。
「すでに準備はできております」
「すまない。ボクたちが戻るまで、エリアXのこと頼んだよ」
「承知いたしました」
 ファントムはトランスサーバの端末を操作して、転送先の座標を入力する。
「エックス様」
 先にトランスサーバに乗ったハルピュイアは、エックスに手を差し伸べる。
「ありがとう」
 エックスはハルピュイアの手にひっぱられて、トランスサーバに乗った。
「それじゃいってくるね」
「御意」
 ファントムは転送装置を起動させる。ファントムに見送られて、エックスとハルピュイアは転送された。



 二人の転送先はネオ・アルカディアの研究所の入り口だった。
「ここだね」
「はい。すでにここの責任者へは連絡を入れております」
 ネオ・アルカディアには多くの研究施設があり、様々な研究が行われている。ネオ・アルカディア設立当時に建てられたこの研究所は、兵器開発の機関として機能していた。
 しかしそれは表向きにすぎず、内部で非合法な研究――胎児の段階から遺伝子操作を施して、人為的に天才児を産み出す極秘プロジェクト――を行っている研究所だった。エックスが人間と人間を守るレプリロイドたちの理想郷としてネオ・アルカディアを造ろうとした頃から、すでに遺伝子操作した人間を産み出すための研究も極秘裏に行われていたのである。
 この研究所の存在を最近になって知ったエックスは、ハルピュイアに頼み込み、なんとか時間を作ってこの研究所を視察することにした。人間側のことには干渉しないようにしているのだが、知ってしまった以上、知らぬ顔をしていることはできなかったのである。
「ありがとう、ハルピュイア」
 多忙なスケジュールを調整してなんとか時間を作ってくれたハルピュイアに、エックスは礼の言葉を述べる。
「当然のことをしたまでです。さあ参りましょう」
 ハルピュイアは優しいまなざしを向けると、エックスを促して歩き出した。



 研究所の応接室で、エックスはテーブルをはさんで研究所の所長と面会していた。ハルピュイアはいかめしい顔つきでエックスの隣の席に座って、油断なく所長を見つめている。所長は気取った感じの男で濃い口ひげを生やしていた。
「エックス様、ハルピュイア様に、直接お会いできるとは恐縮でございます」
 ネオ・アルカディアの幹部二人がこっそり視察に来たということもあって、所長は恐縮するとともに困惑していた。わざわざネオ・アルカディアの幹部二人がここに来た思惑は何なのかと勘ぐっているようにも見えた。
「本題に入る。エックス様がこの研究所に来られたわけはすでにわかっているだろう」
 ハルピュイアが話を切り出す。続けてエックスが口を開いた。
「…人間側のことには干渉しないようにして何も知ろうとしなかったボクにも責任はあるけど、こんな非人道的なことは法律で禁じていたはずだ」
「上層部の方々から許可をいただいているからこそ、こうして我々が極秘裏に研究を続けているのです」
 所長は素早く言葉を返すと、穏やかな口調で話し始めた。
「設備や研究用の資材は容易に手に入れることができますが、人はそうはいきません。研究分野における最大の問題は人材不足です」
 ネオ・アルカディア設立当時から、多くの研究所や製造施設が新設され続けた。現在も大勢の研究者が働いているが、ほとんどは要求される先端レベルの研究についてこられなかった。
 研究の発展のためには、常に新しい技術者と科学者が必要とされる。しかし、ネオ・アルカディアの研究施設の雇用規則は厳格に守られていた。多くの研究は機密に関わるため、新しいスタッフを迎えるには数ヶ月もかかる入念な人物調査をしなければならない。
 外部から研究者を雇い入れて育成するよりも、最初から研究所で産まれた子供に英才教育を施すことで、先端レベルの研究を行える技術者や科学者として幼いうちから働かせることができる。こうした方が時間のかかる人物調査をして技術者や科学者を迎える必要もなく、人材育成にも時間をかけなくてすんだ。
「ネオ・アルカディアの発展のためには、優秀な人材の育成は必要不可欠です。現に、ここで産まれた子供たちは生まれながらの天才児ばかり。彼らに英才教育を受けさせることで、幼少時から優秀な兵器開発者として働らかせることができるのです」
 責任者は事務的な口調で説明する。その表情には命を弄ぶ罪悪感などまるでなく、あたかも、自分たちはネオ・アルカディアに貢献しているのだというおごりが感じられた。
「人間として守るべき一線はあるはずだ。研究の過程で、一体どれだけの子たちが死んだと思ってるんだ…。産まれた子だって無事に成長できた子は少ないと聞いたよ」
 エックスは顔を曇らせて告げる。
「それは昔の話です。今では技術が進歩して、産まれてすぐに異常をきたしたり、発育中に何らかの身体障害が生じて死んでしまう子供の数も大幅に減りました。あなたから見れば、我々の研究は目をそむけたくなるほど、おぞましく不快に感じられるかもしれない。しかしながら、科学は綺麗事だけでは成り立ちません。過去の研究者たちも遺伝子操作をすることでどうなるか、どのような子供が産まれるかは承知していた。それでも彼らはネオ・アルカディアの発展のために、あなたの仰る『守るべき一線』を超えて研究を続けた。彼らの研究と挑戦の結果、現在の科学技術があるのです。科学の世界ではあえて挑戦することが不可欠であり、前に進まなければ何の進歩もありません。それが科学の真の姿なのです」
 所長は誇らしげに胸をはる。所長の身勝手な理屈にハルピュイアはあきれかえったが、それを表情に出さずに所長の説明を聞いている。
「…ネオ・アルカディアを支えるのに大勢の人材が必要なのはわかる。でも、だからって、命を弄ぶなんて…」
 エックスは信じられないという顔つきで所長を見つめる。所長は心外とばかりにあごの先をさすった。
「弄ぶなど人聞きの悪い。ネオ・アルカディアの技術は飛躍的に進歩しました。しかしながら、人間の体は技術の進歩に追いつくことはできなかった。だからこそ遺伝子操作が必要なのです。人間が技術の進歩に追いつけるように、遺伝子操作を施した新たな人間を産み出すことで、人間は進化することができる。研究が進めば、さらに優れた人間や兵器が作り出せる。我々の研究も、すべてはネオ・アルカディアの発展のためなのです」
 議会で人間保護政策を主張する代議員に似ている。エックスはそう思った。価値観や概念の違いから、話し合いが平行線になることはよくあることだった。
 エックスが人間とレプリロイドの共存を願って造ったネオ・アルカディアだったが、長く続く戦争の恐怖からレプリロイド完全管理の支持が出始めていて、エックスをはじめとする『共存派』と人間政府を中心とした『支配派』の対立も長く続いていた。
 『支配派』の代議員にはこちらの話が通じない相手も大勢いる。人の言うことに耳を貸さず、自分が何でも知っているつもりでいる。この研究所の所長も彼らと同じ類の人間のようだった。
「率直に申し上げましょう。エックス様がこの研究所の閉鎖をお考えなら、まずは議会で決められるのが筋かと存じます。エックス様は我々の研究をご不快に思われているようですが、この研究を推し進め、さらなる進歩を望んでいる議員もいることをお忘れなく」
 エックスはうつむいて唇をかみ締める。やりきれない思いがこみあげてくるのを感じた。
「今日はこの研究所の方向性について話し合うためにきたのではない。どのような施設なのかを視察するためだ」
 エックスの気持ちを察したハルピュイアは話題を切り替える。
「エックス様はこの研究所のみならず、ここで暮らす子供たちにも興味がおありだ」
「それでしたら、ご案内いたしましょう」
 ハルピュイアの言葉を受けて、所長は立ち上がった。



 エレベーターを降り、長い廊下を歩き、重い閉ざされた扉を抜けるたびに、エックスは世間から隔離された重苦しい世界へ入っていくような気がした。しかし扉が開けられたとたん、エックスの目が見開かれた。
「わあ、可愛い!」
 部屋に入ったエックスは思わず歓声を上げる。部屋の中では、保育士たちが見守る中、赤ん坊たちが室内遊びをしていた。子供好きのエックスは瞳を輝かせる。エックスの様子にハルピュイアは思わず苦笑した。
「ここにいるのは、実験体として胎児の段階で遺伝子操作された結果、産まれた子供たちです。この部屋にいる子供たちは、生後半年から一歳未満ほどの…」
 所長は事務的に説明し始める。
「やめてくれ」
 エックスは所長の言葉をさえぎる。
「この子たちは実験動物なんかじゃないよ」
 エックスは頬を紅潮させて所長をにらんだ。エックスの気持ちを察したハルピュイアも、剃刀のような視線を所長に向けてにらみつけた。
「は、はい。失礼いたしました」
 所長はエックスの表情よりもハルピュイアの視線にすくみあがった。
「この子たちより大きい子はどこにいるんだい?」
 エックスは室内の子供たちを見回して所長に尋ねる。室内には、生後半年から一年ほどの赤ん坊しか見当たらなかった。
「年齢ごとに別の研究所に移されて、教育プログラムを受けております。この建物では一歳ほどまでの赤ん坊を管理しておりますので」
「…少しだけ、この子たちと遊んであげてもいいかい? 詳しい説明は後で聞かせてもらうよ」
 エックスは自分を見上げてくる赤ん坊と目を合わせながら言った。
「どうぞ、ご自由に。私どもはあちらの応接室でお待ちしておりますので、何かございましたらすぐにお呼びください」
 所長はエックスに一礼すると退室した。
「私どもはいかがいたしましょうか?」
 保育士の一人が、エックスにおずおずと聞いてくる。
「しばらくの間だけ、ボクとハルピュイアとこの子たちだけにしてくれるかな。何かあったらすぐに呼ぶよ」
「かしこまりました。何かございましたら、扉の横にあるインターホンでお呼びください。すぐに参りますので」
 保育士たちはエックスに一礼して、次々と部屋を出て行く。扉が閉まり、エックスとハルピュイア、そして赤ん坊たちが室内に残された。
 床に座ったエックスは先ほどの所長の言葉が気になったのか、赤ん坊たちをじっと見つめていた。その目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
 この赤ん坊たちを産み出すために、一体どれだけの命が培養され、こうして産まれるまでに死んでいったのだろうか。
 そう考えるエックスの目から涙が零れ落ちた。しかしエックスのそばにいる赤ん坊は、そんなエックスの気持ちなどわかるはずもなく、無邪気にエックスの膝にのっかってくる。エックスが赤ん坊に視線を移すと、赤ん坊はきゃっきゃっと笑って遊んでほしいとばかりにエックスの服の袖をひっぱった。
 赤ん坊のにこにこ顔を見たエックスはようやく笑いを浮かべると、赤ん坊を抱き上げた。エックスが優しく頬を撫でてやると、赤ん坊は嬉しそうに笑った。
 ハルピュイアは後ろに控え、エックスを静かに見守っていた。その時、ハルピュイアは足元に違和感を感じる。足元を見ると、好奇心旺盛な赤ん坊が一人、ハルピュイアの足元にまとわりついていた。
「……これ」
 ハルピュイアは顔をしかめて注意するが、赤ん坊はにこにこ笑ってハルピュイアの足にじゃれつく。
 エックスの手前、赤ん坊をはねのけることもできず、ハルピュイアはしぶしぶ赤ん坊を抱き上げた。ハルピュイアに抱き上げられて、赤ん坊は嬉しそうにきゃあきゃあ笑っている。ハルピュイアの目が赤ん坊の服の胸についているネームプレートに止まる。プレートには『シエル』と書かれていた。
「だー」
 シエルはハルピュイアの顔をじーっと見つめると、ハルピュイアの鼻を思い切り引っ張った。
「無礼者!」
 いつもの癖でハルピュイアは思わず怒鳴ってしまう。びっくりしたシエルはぎゃーっと大声を上げて泣き始めた。
「黙れ。泣き止むんだ」
 ハルピュイアはシエルに向かって、まるで大人を相手にするかのように毅然として話しかける。だが、シエルはさらに泣き声を上げて泣くばかりだった。
「ふふっ」
 それを見てエックスはくすくす笑う。
「貸してごらん」
 エックスはハルピュイアからシエルを受け取る。
「よしよし」
 シエルを抱き上げると、エックスは子守歌を口ずさむ。優しい子守歌が流れると、ぐずっていたシエルの表情が次第に穏やかな表情へと変わっていく。周りの赤ん坊たちも動き回るのをやめて、エックスの子守歌に聴き入ってるかのようにじっとエックスを見つめていた。
 赤ん坊に囲まれて子守歌を口ずさむエックスの姿は、まるで彼らの母親のように思えた。エックスが歌い終わると、シエルはすっかり機嫌を直してきゃらきゃら笑っていた。エックスは傍に座るハルピュイアを見る。
「ハルピュイア」
「はい?」
「どうか、この子たちが一人で生きていけるようになるまで、大人になるまでちゃんとした保護や教育を受けられるように手配してあげてくれ」
 あの様子だと、少しでも出来損ないと判断されたら、それこそ放り出されて路頭に迷うことになるだろう。最悪の場合、世間に知られることなく殺されてしまうかもしれない。
「かしこまりました。アカデミーのような機関を設立させて、この者たちがそこで生活できるような環境を作りましょうか」
「うん。それはいい考えだ」
 エックスはシエルを見る。
 遺伝子操作されて産まれた子供たち。自然の摂理をねじまげて産み出された、ネオ・アルカディアの被害者たち。
 無事に成人する子もいれば、そうでない子もいるだろう。それだけではない。きっとこの先、様々な苦労が待っていることだろう。自分がそばにいて見守ってあげることはできないが、できるかぎりの援助はしてあげたい。少しでもこの子たちに幸あることを。生まれてきてよかったと思えるような人生が送れるように。エックスは心から願った。
「ねえ、ハルピュイア。こうしてると、ボクたち夫婦みたいだね」
「え…」
 『夫婦』という言葉を聞いて、ハルピュイアは微かに動揺する。
「だって他はみんな赤ちゃんなんだもん。大家族みたいだね」
 エックスがハルピュイアに微笑みかける。ハルピュイアは頬を微かに染めて、こくこくとうなずくことしかできなかった。
「子供は何人いても可愛いものだよ。ボクも人間だったら、子供はたくさん欲しいな」
「…エックス様が欲しいと仰るなら、オレは励みます」
 思わずハルピュイアは真面目に答えていた。
「うん! 孫は四天王をもう一組作れるくらい頼むね!」
「ま…『孫』ですか……」
 ハルピュイアはみぞおちにパンチを食らったような感覚を感じた。
「そのときはボクにも名前を考えさせてね」
「は…はあ……」
 ハルピュイアは顔をひきつらせた。本人は笑顔を見せているつもりである。
 オレはエックス様にそのような対象としてまったく見られていなかったのか…。そう思ったハルピュイアはおおいに落ち込んだ。
「どうかしたの?」
 ハルピュイアの様子にエックスはきょとんとする。
「あ、いえ……その……」
「ごめん……困らせちゃった?」
「いえ、そのような事は決して……」
 ハルピュイアはしどろもどろに答える。ハルピュイアのちぐはぐな態度を見て、エックスは不思議そうに首をかしげた。
「だー」
 エックスの腕の中にいたシエルが声を上げて、ハルピュイアの方に手を伸ばす。
「はい」
 エックスはシエルをハルピュイアに手渡した。ハルピュイアに抱き上げられたシエルは、にこにこ顔でハルピュイアにじゃれついてくる。
「これ…少しは慎め」
 ハルピュイアが自分に抱きつくシエルに悪戦苦闘している様子を、エックスは温かいまなざしで見守っていた。
 エックスは周りの赤ん坊たちを見つめる。命というものはいとおしくかけがえのないものだということを、赤ん坊たちが改めて教えてくれたような気がした。
 この子たちのためにも、みんなが幸せに暮らせるように、ネオ・アルカディアを安定させなくては…。ボクの中に眠る彼女のためにも。エックスはそっと自分の胸元に手をあてた。



 所長との話を終えた後、帰る前にエックスとハルピュイアはもう一度先ほどの部屋をのぞいた。
 部屋は照明が落とされており、赤ん坊たちはベビーベッドですやすやと眠っている。エックスは微笑ましそうにその寝顔を見て、そのまま部屋を出ようとした。
 その時、可愛い呼び声が聞こえる。エックスとハルピュイアが振り返ると、いつのまに起きたのか、シエルがベビーベッドの柵越しに二人を見ていた。
「眠れないの?」
 エックスがベビーベッドの側に来て小首を傾げる。だがシエルはエックスの方を見ようとせず、入り口に立ったままのハルピュイアに手を伸ばしていた。
「シエルちゃんは君に寝かせてほしいって」
 エックスはにこにこしながら、ハルピュイアを手招きする。
「エ、エックス様…」
 ハルピュイアは困った表情で、エックスの傍へやって来る。エックスはシエルを抱き上げると、ハルピュイアに手渡した。ハルピュイアに抱かれて、シエルはきゃっきゃっと笑っている。
「よほど気に入られたんだね」
 仏頂面のハルピュイアと無邪気に喜ぶシエルの表情のギャップが面白いのか、エックスはくすくす笑った。
「は、はあ……」
 ハルピュイアはなんともいえない表情になる。
「君が寝かしつけてあげたら? 子守歌を歌ったら完璧だね」
「お願いできますか?」
「せっかくだから、君が歌ってみたら? 意外と簡単だよ」
「お、オレがですか?」
 ハルピュイアは困惑する。
 厳密に言えば、レプリロイドは歌を歌うことができない。歌のように聞こえていても、結局は記録した音声をただ再生しているだけで、歌を歌うことは人間だけができることなのである。
 しかし、エックスはレプリロイドとは思えないぐらい、様々な歌を歌っていた。エックスのDNAとパーツを元に生み出されたハルピュイアもエックスのように歌えるのかもしれないが、自分にできるのかどうかとハルピュイアは考え込んでしまう。
 考え込むハルピュイアを見て、エックスは苦笑する。
「難しく考えないでいいよ。ただ、想いを歌にすればいいんだ」
「想いを歌に……?」
「うん。ボクも…君の歌を聴いてみたいな」
 エックスはにこっと笑うと、ハルピュイアをじっと見つめる。
「だあ!」
 シエルもねだるように声を上げた。
「…エックス様が御所望でしたら喜んで」
 ハルピュイアは歌えるのかどうか自信はなかったが、エックスのために精一杯歌ってみようと思った。
「では失礼して……」
 ハルピュイアは空いた手で何度か咳払いをする。そして目を閉じて、頭の中に浮かんだ詩と旋律を声に乗せてみる。オレの想いをあなたへ届けたい。そんな願いを胸に秘めながら、ハルピュイアは歌い始めた。
 ハルピュイアの歌が流れ、シエルは目を輝かせた。騒ぐのをやめてじっとハルピュイアを見つめている。エックスは目を閉じてハルピュイアが紡ぐ歌声と旋律に集中した。
 ハルピュイアの歌はフランス語の歌だった。ハルピュイアは照れくさいのか、目を閉じたままでひたすら歌い続けている。まるで暖かい春の風のような歌だとエックスは思った。エックスの全身が暖かくて心地よいハルピュイアの歌声にすっぽりと包み込まれているように感じた。



 ハルピュイアの歌が終わった頃には、シエルはすやすやとハルピュイアの胸元で寝息をたてていた。もう大丈夫だろう。そう思ったハルピュイアはそっとシエルをベビーベッドに寝かせた。
 エックスは音を立てないように静かに拍手をする仕草をする。
「フランス語の歌か。すごいね。心にしみわたる感じだったよ」
「ご冗談を」
 照れくさいのか、ハルピュイアはエックスから目をそらした。
「歌詞にあった『鳥』って君のことかい?」
「秘密です」
 エックスの質問にハルピュイアはすました顔で答える。
 オレの『幸せの鳥』はあなたのことですから。ハルピュイアはそう心の中で呟いていた。
「では参りましょう、エックス様」
「うん」



 研究所を出た二人は闇に包まれた道を肩を並べて歩いていった。
「可愛い子たちだったね」
 ふと、エックスは先ほどの赤ん坊たちを思い浮かべた。
「ボクはあの子たちのそばにいてあげられないけど、何かしてあげられるならしてあげたいんだ」
 話しながらエックスは寂しそうな顔をする。
「…ボクもあの子たちみたいだったから。でも、ボクにはゼロがいてくれたから…」
「エックス様…」
 ハルピュイアはエックスの様子を見て悟った。エックス様はあの赤ん坊たちにご自分の昔の姿を重ねておられたのだ。
 いたわるような目をするハルピュイアに気づいたエックスは、ハルピュイアの目を見返して小さく笑う。
「さあ、帰ろうか」
 その時、エックスは急によろめく。その体をハルピュイアが抱きとめて支えた。
「ごめん…」
 ハルピュイアはエックスを抱き上げる。
「お疲れだったのにスケジュールを切り詰めたあげく、いきなりこのような研究所へ訪問されるなど、ご無理をなさったからですよ」
「だって、『どこかへ行くには二倍のスピードで』って言うじゃないか」
「『鏡の国のアリス』ですか」
「うん」
同じところにとどまっていたければ、力のかぎり走らねばならぬ。どこかにゆきつこうと思えば、その二倍の速さで走らねばならぬ
 物語の中で、赤の女王が主人公アリスに言った言葉である。
「まるで、今のボクみたいだなって思ったんだ…」
 今の自分はネオ・アルカディアの統治者。どんなに苦しくても立ち止まることはできない。絶えず全力で走り続けなければならない。行政を行い、安定を保たなければならないのだ。ネオ・アルカディアに住むすべての人間とレプリロイドのために。そして、先ほど出会った子供たちのためにも。
「最近よく『もう疲れた、こんなこと背負いきれない』って思うんだ。こんな弱いボクが統治者なんてやっていいのかなって思うよ」
「エックス様。お一人で何もかも背負おうとなさらずに、どうか我ら四天王に頼ってください」
 いつになく弱気になっているエックスを、ハルピュイアは励ました。
「ありがとう」
 エックスは深々と安堵の吐息をもらすと、ハルピュイアの胸元に顔を寄せる。
「このまま少し…寝てもいいかい?」
「はい」
 エックスは目を閉じると、すぐに微かな寝息をたてはじめた。ハルピュイアは自分の胸元で眠るエックスを、優しいまなざしで見つめていた。エックスを抱くその手に力がこもる。困ったときには自分を頼ってほしい。そんなハルピュイアの想いがこもっていた。
 オレがいつでもあなたのお傍にいますから。ハルピュイアは眠るエックスの頬にそっと口付けると、そのまま歩き出した。


  * * * *


 ゼロがシエルの部屋を訪れると、シエルはベッドの上に座って歌を歌っていた。シエルの膝枕ではアルエットが昼寝をしている。
「子守歌か?」
 シエルの歌を聴きながら、ゼロは部屋にある椅子にでんと腰掛ける。
「多分そうだと思う。昔、誰かに歌ってもらった歌なの」
「お前の親か?」
 ゼロの質問にシエルは首を振る。
「ううん。誰が歌ってくれたかは覚えてないの。覚えてるのは…緑色だけ」
「なんだ、それは」
「さあ?」
 シエルはくすりと笑って肩をすくめた。
「だって、気がついたら歌っていた歌なんですもの」
 シエルはアルエットを自分のベッドに寝かせると、ゼロのそばにやって来る。ゼロの座っている椅子の横に、自分の椅子を持ってきて座った。
「あの歌ね、歌っているとなんだか優しい気持ちになれるの。きっと歌ってくれた人の優しさが歌に宿ってるのかもしれないわ」
 シエルは遠い過去を思い返すように目を閉じる。
「…いい歌だったな」
 ゼロの感想を聞いたシエルは顔をほころばせた。
「ゼロも聴きたい?」
「……ああ」
「じゃあ、今度はあなたのために歌うわね」
 シエルは再び歌を口ずさむ。ゼロは腕組みをしながら、目を閉じて歌に聴き入る。部屋中にシエルの優しい歌声が響いていた。



【引用文献】
ルイス=キャロル(1990年). 鏡の国のアリス 偕成社


[ END ]




Thank you for reading♪(^^)


ロクゼロ前のハルピュイアとエックスの話です。

今までネオ・アルカディアの詳しい内情に関わる話は、あえて書かないというかふれないようにしていたのですが、
この話は過去話ということで、ゲーム本編、「リマスタートラック ロックマンゼロ」シリーズ、ロックマンゼロコレクション
公式サイトの設定(公式サイトの初期バージョンに掲載されていた年表の設定)を参考にして書いています。

ネオ・アルカディアの設定『ネオ・アルカディアがレプリロイド共存派とレプリロイド支配派に分かれている』
この設定からも、ネオ・アルカディアはけっこう複雑な内情だったんですね。
ネオ・アルカディアでは人間政府や人間の代議員もいるようですが、
レプリロイド側の代議員はエックス以外にはいなかったのか? 代議員たちはどんな人物だったのか?
こうしていろいろ考えると、さらに謎が深まりますね。
ロクゼロは設定が媒体によって違っている、いまだに謎の多いゲームなので、
あいまいな部分はあいまいなままにしておくのがいいかなあと思いまして、
上記の資料の設定以外はぼかして書いてます。

ちなみにハルピュイアが歌った歌は、リマスタートラック ロックマンゼロ・イデアに収録されている
イメージソング「L'oiseau du bonheur (幸せの鳥)」ということにしています。
この話を書くにあたってリマスタートラックシリーズを聴きなおしたりしてましたが、やっぱりいいなあと
聴き惚れていました。
テロスのドラマのエックスと四天王のやりとりがいい感じです♪
イデア収録のイメージソング「L'oiseau du bonheur」もすっごくすっごくお薦めですので、
どちらもまだ聴いてない方はぜひ聴いてみてください(^^)。

 


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