〜[ファントムとコピーエックス] ロックマンゼロサイドストーリー22〜
エリアX。それは静止衛星軌道上に建設された、ネオ・アルカディアの無人宇宙施設の一つで、行政を指揮するコントロールルームであると同時に、統治者エックスの居城でもある。 エリアXのデータルームで、統治者エックスの身代わりとして造られたコピーエックスは手元に浮かんだ端末のキーボードに指を躍らせていた。 隣で同じように端末を操作してコピーエックスを補佐していたハルピュイアは、不意に顔をあげて端末から手を離す。 「エックス様、まもなく時刻になりますので、オレは出立の準備ができているか確認に行ってまいります」 ハルピュイアは次の予定を告げた。 「わかった」 コピーエックスは目の前のディスプレイから目を離すことなく、キーボードの上に指を走らせながら短く返事をする。ハルピュイアは一礼すると、データルームから出て行った。 広大なデータルームに、コピーエックスが一人残される。コピーエックスの周りには無数のディスプレイがあり、様々な映像が映し出されている。様々な情報を集積、分析し、行政を指揮するために。 ふと、コピーエックスは傍らのディスプレイに映る映像に目を止めた。映像にはクリスマスでにぎわう市街地の様子が映し出されていた。どうやらニュースのようだった。雪が降ったとアナウンサーが話す中、雪の降りしきる光景に画面が切り替わる。 「雪…」 コピーエックスは小さく呟いた。まだエリアXに来てまもない頃、レヴィアタンに遊んでもらったときに雪を降らせてもらったことがある。だが、それはコピーエックスの自室の中でのことで、実際に空から降ってきている雪を見たことは今まで一度もなかった。 ディスプレイに別の場所が映し出された。居住区の中央に、巨大なクリスマスツリーが作られたことを報じていた。コピーエックスはそれにも興味がわいた。映像に映っている巨大なクリスマスツリーは、無数のイルミネーションやオーナメントで彩られていた。 (楽しそう…) 映像のクリスマスツリーを、そして、あそこで降っている雪を直接見てみたいと思った。だが、そんなことは自分には許されないこともわかっていた。それでも、中身は生まれて数年もたっていない子供である。統治者としての務めを果たすようになってからそれなりの月日が過ぎているとはいえ、外の世界への憧れもないとはいえなかった。コピーエックスは、ディスプレイに映るクリスマスツリーを見てため息をつく。 「…見てみたい」 思わず本音が口から出ていた。 「なりません」 いつのまに戻ってきていたのか、隣に立ってそれを聞いたハルピュイアは即座に否定した。コピーエックスは一瞬、目を細める。だがすぐに笑顔で答えた。 「わかってるよ。ボクの公務が滞ったら、みんなに迷惑がかかるって」 ハルピュイアはほっとした顔をする。 「51分から社会保障改革に関する集中検討会議です。参りましょう」 ハルピュイアはコピーエックスの肩に触れて促した。 ファントムはその様子を陰から見つめていた。 最近のコピーエックスは以前と変わったことに、ファントムは気がついていた。 エリアXに来た頃のコピーエックスは無邪気に笑い、元気に走り回り、奔放な言動でハルピュイアたちを振り回していた。だが、最近は妙に素直になり、以前のようにストレートに感情を表したり、不平不満を言ったりすることもなくなった。ハルピュイアは、コピーエックスがネオ・アルカディアの統治者として目覚めたのだと思い、とても満足しているようだが、ファントムは何か引っかかるものを感じていた。 コピーエックスは一人でいるとき、ため息をついたり、暗い表情をすることが多くなった。いつも物憂げな顔をして何か悩んでいる様子を、ファントムは陰から見ていて知っていた。それだけに、ファントムはコピーエックスの様子が心配だった。 * * * 分刻みの公務を終え、自室に戻り、一人になったコピーエックスはため息をついた。部屋にある椅子に腰かけてうなだれる。 (こんな生活…いつまで続くんだろう) わかっている。いつまでもこの苦しみは終わらない。自分が生まれたときから決まっていたことだ。 コピーエックスは先ほど見た映像を思い出し、クリスマスの時間を楽しむ人たちの姿を思い浮かべる。それに引き換え、自分はどうだろう。自分の時間すら持てず、行動も制限されて、ひたすら時間と公務に追われている。 コピーエックスは統治者として午餐会といった集まりに赴くこともある。一般の人たちからは豪華で華やかに見えるだろうが、それは心から楽しめるものではない。華やかな宴の裏では、お互いが腹の内を探りあい、自分の立場を有利にするための黒い駆け引きがされている。そんな楽しくもない場所でも、コピーエックスは笑顔でふるわなければならない。 ささやかな日常を謳歌する人たちと惨めな境遇の自分を思い、コピーエックスは右手で頭を押さえた。 「もう嫌だ…。こんな生活、耐えられないよ…」 コピーエックスは誰にも聞こえないほどのか細い声で本音を吐露する。最初はネオ・アルカディアに住むすべての者たちのために、よりよい統治をしていこうと、オリジナルのエックスの代理を務められるようにはりきっていた。だが、日々を重ねるにつれ、厳しい現実、冷酷非情な世界を嫌でも知ることになった。 ネオ・アルカディアは人間とレプリロイドが協議して政策を行っていたが、近年、人間側の議員の数が増えその勢力を拡大していったことにより、レプリロイド側の議員の勢力は衰え、統治者であるコピーエックスの立場も微妙なものになっていた。人間の議員は徐々に慢心していき、エネルギー不足を理由に、役に立たないレプリロイドは処分してはどうかと言い出す者も出てきた。 また、議会では人間の議員たちの無礼な発言にも耐えなければならない。コピーエックスはイレギュラー検挙率についても追求され、ときには、自分を支持する者たちからも責められたりもした。ボクだって、一生懸命やっている。そう叫びたい気持ちをこらえ、すました顔で弁明しなければならない。 コピーエックスはオリジナルエックスの身代わりを演じることに疲れてきていた。自分は以前のように、心から笑えなくなったことに気づいた。そして誰も信じられなくなった。 ハルピュイアたち四天王たちも同じだ。誰もが自分の上にオリジナルエックスの面影を重ねてみている。自分をオリジナルエックスの身代わりとして生み出したのだ。 みんな、みんな、死んでしまえ。そんなふうに狂気じみたことを思うことがしょっちゅうある。だが、自分ではどうにもできない。もし逃げ出したとしても、どこにも行くあてがない。すぐに連れ戻されてしまうだろう。下手な行動をとれば、自分の正体を疑う者も出てくる。自分がオリジナルのエックスではなく、実はコピーのエックスだということが知られたら、自分はすべての人間とレプリロイドを騙していたと弾劾され、裁判にかけられ、処分されるだろう。それも嫌だった。逃げ出したいのに逃げ出せない、殺されるのも嫌だ、そんな何もできない自分が一番嫌いだった。コピーエックスは肩を震わせて、ぎゅっと目を閉じた。 「エックス様」 低い声がして、ファントムが目の前に現れる。コピーエックスは内心うんざりした。休息時間は一分一秒でも無駄にできないと、ファントムはハルピュイアと同じように自分に干渉してくる。それがいつもうっとおしかった。エリアXに来た頃はファントムが大好きだったが、その気持ちも、今ではすっかり失せていた。 (ファントムはボクの内面を知ったら、どんな顔するんだろう) コピーエックスは心の中で冷笑しながらも、表情は笑顔を作る。 「わかってるよ。もう休むよ」 だがファントムの口から出たのは意外な言葉だった。 「御身にお話ししたいことがございます」 コピーエックスは普段と違う様子のファントムに戸惑い、心の中で色々思いめぐらせる。 「…今、話したい気分じゃない」 気になったが、素直じゃない言葉がコピーエックスの口から出た。 「さようでございますか。では御免」 コピーエックスの返事を聞いたファントムは素直に下がろうとする。 「待って!」 ファントムが姿を消そうとする直前、コピーエックスは慌ててファントムのマントを掴んだ。 「ちょっとだけなら、話を聞いてやってもいいぞ」 自分の行動にコピーエックスは自分自身でも驚いていた。一度気になったら好奇心を抑えられず、ファントムをじいっと見上げる。 「御身にお見せしたいものがございます」 「見せたいもの?」 コピーエックスはきょとんとする。 「御身の休息時間を削ってしまうことになりますが、よろしいでしょうか?」 コピーエックスはちょっと考えて、首を縦に振る。 「いいだろう。連れて行け」 「それではこちらへ」 ファントムはコピーエックスを促して、トランスルームへ向かった。 * * * 転送装置を使ってファントムがコピーエックスを連れて行った先は、ネオ・アルカディアの政府関連の建物だった。 「いいの? ボクを連れ出して…」 連れて行けと命令したものの、コピーエックスは普段のファントムからは考えられない行動がいまだに信じられない。 「この建物を出れば、市街地の入り口でございます」 ファントムはコピーエックスの言葉には答えずに、淡々と説明する。 「ですが、そのまま外に出るのは危険でございます。これを身に着けてください」 ファントムはクロスペンダントを取り出して、コピーエックスに差し出した。 「これは…?」 コピーエックスは物珍しそうな顔でクロスペンダントを見つめる。銀色のクロスの中央に青色の小さな石が埋められている。 「変装マシンが組み込まれております。これを使えば変装シールドが発生して、姿を変えることができます」 そう説明しながら、ファントムは自分もクロスペンダントをかけると、クロスの中央の青色の石を押す。すると変装シールドが発生して、ファントムの姿は人間の姿に変わった。ファントムは金色の長い髪を伸ばし、眼鏡をかけた長身の青年の姿をしている。 コピーエックスは目を大きく見開く。 「ファ…ファントム……?」 口をぱくぱくさせるコピーエックスは、思わずファントムの後ろに回って髪に触ってみる。するとファントムの髪の部分に触れた手はすっとすり抜けた。 「ホログラフィーなのか?」 「さあ、これを」 ファントムはクロスペンダントをコピーエックスに渡した。クロスペンダントを受け取ったコピーエックスは、それを首にかける。恐る恐る青色の石を押すと、変装シールドが発生して、コピーエックスも人間の姿に変わった。 「こちらへ…」 ファントムはコピーエックスを案内してトランスルームを出る。廊下には警備兵のパンテオンがいたが、ファントムとコピーエックスの姿を見ても、何も反応せずに通り過ぎていく。その横を通り抜け、二人は入り口に向かって歩いた。 「ねえ、大丈夫なの?」 「ご安心を。すでに拙者が手を回してあります」 その言葉どおり、その後も何体かのパンテオンとすれ違ったが、いずれも警戒されることはなかった。 その建物の入り口の扉や外壁はガラス張りになっていた。コピーエックスは自分の姿がどうなっているのか気になって、入り口の扉の横にあるガラス張りの壁の前に走っていき、自分の姿を映してみる。コピーエックスは、青いジャケットと短パンをはき、茶色の髪をショートカットにした少女の姿をしていた。 「これがボク?」 「御意。拙者が選んだ姿でございます」 「ふうーん」 コピーエックスは不思議そうにガラスに顔を近づけたり、目をぱちぱちさせたりする。 「…なんで女の姿なんだ?」 「カップルだと誤魔化せます」 ファントムはしれっと言ってのける。コピーエックスは思わず真っ赤になった。 「あ、あのね…、ボクは……!」 「これが一番よいのです。では参りましょう」 コピーエックスの困惑などおかまいなしに、ファントムはコピーエックスの手を引いて歩き始めた。 * * * コピーエックスは生まれてすぐにエリアXで引き取られ、そこで育ち、オリジナルエックスの代理として、統治者としての務めを果たしてきた。一般の人々の生活などはハルピュイアの御前講義でしか教わっていなかった。ネオ・アルカディアの居住区を訪問することはあったが、それも一部の地域のみ、会うのも特権階級の人間やレプリロイドに限られていた。そんなコピーエックスにとって、市街地は驚きの連続ですべてが新鮮に映った。 道には様々な店が立ち並び、大勢の人間やレプリロイドが道をゆきかっている。みんな生き生きとして幸せそうだ。彼らを見つめるコピーエックスも思わず顔がほころぶ。だが次第に、自分が彼らのようにささやかな生活すら送れない、統治者としての重責を背負った存在だと痛感して、心が苦しくなった。思わずハルピュイアの顔が浮かぶ。今頃ハルピュイアは自分がいないことに気づいているだろう。 「ハルピュイア…怒ってるだろうね……」 コピーエックスは震える声でファントムに話しかける。今さらながら、自分のやっていることが怖くなった。 「すべて拙者が言い出したこと。御身が心配する必要はございませぬ」 ファントムは安心させるかのように即答する。その言葉の響きには少しの迷いも感じられない。コピーエックスは少しほっとして、ファントムの手をぎゅっと握り返した。 コピーエックスは周りをきょろきょろと物珍しそうに見ながら、ファントムに手をつながれながら歩き続ける。 「一体どこへ行くの?」 「もうすぐでございます」 コピーエックスは不思議そうな顔をしたが、やがて、周りの光景に見覚えがあることに気づく。 「ここはもしかして…」 「そのとおりでございます」 コピーエックスが考えていることを察して、ファントムは答えると前方を見る。 「見えてまいりました」 コピーエックスは前方を見て目を見開いた。 「あれは…」 前方には、ニュースの映像で見た巨大なクリスマスツリーが立っている。コピーエックスはファントムの手をほどくと、クリスマスツリーに向かって走り出した。 すでに遅い時間のためか、昼間の映像では大勢の見物客で混雑していたクリスマスツリーの周りには人は少なく、コピーエックスは難なくそばまで行くことができた。 コピーエックスはクリスマスツリーの前に立つと、天を仰ぐように見上げる。 「すごーい!」 コピーエックスはうっとりしたような感嘆の声をあげる。 「こんなに大きいなんて…こんなに大きいなんて……!」 クリスマスツリーはイルミネーションの色とりどりの輝きによって幻想的な美しさを醸し出している。感激のあまり立ち尽くしているコピーエックスのそばに、遅れてファントムがやって来る。 「御身がこれをご覧になりたいようでしたので」 「…ありがとう」 コピーエックスはファントムに抱いていた不平不満を忘れて、素直に礼を言った。 「映像だけじゃ、こんなに大きいなんて、全然わからなかったよ」 コピーエックスはクリスマスツリーの周りをちょこまかと歩き回る。 「すごい可愛い飾りー。光もすっごくきれいー!」 コピーエックスは無邪気にはしゃいでいる。その様子をファントムはこの上なく優しい目で見守る。しばらくの間、ファントムとコピーエックスは肩を並べて、クリスマスツリーを見上げていた。変装シールドで姿を偽っている二人は、はたから見ると、どこにでもいる普通の恋人同士に見えた。 「エックス様」 不意にファントムが話しかける。 「このクリスマスツリーに願いをかけると、願いが叶うそうでございます」 「うそ」 コピーエックスは即座に否定した。 「当たるも八卦、当たらぬも八卦。それは御身次第かと思われます」 ファントムはクリスマスツリーを見つめて言った。 「願いか…」 コピーエックスは思案顔になる。 「雪…」 ちょっと考えてから、コピーエックスは口を開く。 「雪が見たい」 するとコピーエックスの声に応えるかのように、ちらほらと雪が降ってきた。 「…雪?」 コピーエックスは天を仰ぐ。人間の居住区は大型ドームの中にある都市であるため、今降っている雪は、厳密には【空】から降っているわけではないことはわかっている。だがコピーエックスは感動していた。エリアXでレヴィアタンに見せてもらった雪も本物だが、あのときと見たのとは全然違う。粉雪程度の雪だったが、幻想的で儚い光景に魅入られたコピーエックスは感激で胸がいっぱいになる。両手を広げると、空を見上げて、無邪気に笑った。 「エックス様。そろそろ戻りましょう」 ファントムは通信越しに誰かと話すと、コピーエックスに声をかけた。 「わかったよ。しっかり記録したから。このきれいな景色も。この雪の中に立ってるファントムの綺麗な姿も……」 コピーエックスの言葉を聞いたファントムは一瞬戸惑うが、すぐに笑顔でうなずいた。コピーエックスはにっこりと笑い返す。久しぶりに見せてくれた笑顔に、ファントムはとても安堵していた。 「ありがとう、ファントム。そして……」 コピーエックスはファントムの首元に口を寄せて囁く。 「…レヴィアタンもね」 『ばれてました?』 コピーエックスに聞き慣れた声が答える。ファントムが話していた相手はレヴィアタンだった。 「うん。こんなことできるの、レヴィアタンだろ。だってタイミングよすぎだもん」 そう言ってコピーエックスはきゃらきゃら笑った。 「でも、とってもきれいだった。どうもありがとう」 『喜んでいただけて何よりですわ』 通信越しに聞こえてくるレヴィアタンの声も嬉しそうだった。ファントムは口元に笑みを浮かべた。 * * * エリアXではハルピュイアが怒り顔で待ち構えていた。トランスルームの前でハルピュイアは仁王立ちになり、戻ってきたファントムとコピーエックスを出迎える。ハルピュイアの後ろにはちょっと困ったような顔をしたレヴィアタンもいた。 「ファントム、お前は!」 ハルピュイアの怒りが稲妻となって部屋中に炸裂する。コピーエックスはハルピュイアがここまで激しく怒ったのを初めて見た。普段はハルピュイアの優しい顔しか見たことがなかったコピーエックスは、怖さのあまり何もしゃべれずにいた。 ハルピュイアはさっと手を上げる。すると電撃が発生し、まっすぐにファントムを直撃した。ファントムは避けることなく、もろに電撃を受け、膝をついた。 「お前は何をしたのかわかっているのか! エックス様を市街地に連れ出すなど…。エックス様の身に万一のことがあったら、ネオ・アルカディアは統治者を失うのだぞ!」 ハルピュイアの声は激しい怒りに打ち震えている。 「レヴィアタン、お前も同罪だ。この不始末、どう償う気だ」 ハルピュイアは殺気に満ちた目をレヴィアタンに向けた。 「ええ、覚悟はできてるわ」 レヴィアタンは神妙にうなずいた。ファントムに協力して勝手な行動に出たのは事実である。 「拙者がレヴィアタンに頼み込んだのだ。すべての責任は拙者にある」 ファントムはハルピュイアの前に進み出る。ハルピュイアは電撃を放った。電撃がファントムを直撃する。ファントムはその勢いで床に叩きつけられた。 だが、ファントムはよろめきながらも立ち上がる。そして床に膝をついた。 「お主の気のすむように…」 ファントムは静かな目で、ハルピュイアの顔ををまっすぐに見つめる。自分がやったことは責任重大で、どう弁解しても許されることではないことは承知していた。ハルピュイアの怒りは当然である。コピーエックスを連れ出し、危険にさらすような真似をしたのだ。護衛役としてあるまじき行為だった。それでも、疲れ切っているコピーエックスの心を少しでも癒してあげたかったのである。 ハルピュイアは右手に電撃をまとわりつかせると、容赦なくファントムめがけて電撃を放った。 「やめろ!」 今までなりゆきを見つめることしかできなかったコピーエックスが走り出し、ファントムの前に飛び出すと、ファントムをかばうように両手を広げた。突然のコピーエックスの行動にハルピュイアは驚く。 「エックス様っ?」 だが、ハルピュイアの手からすでに放たれた電撃はコピーエックスを襲う。 「エックス様っ!」 低い声が響き、それまで膝をついていたファントムが素早い動きで立ち上がると、コピーエックスを引き寄せ、電撃から守るように自分の胸の中に抱き込んだ。電撃はファントムの背中を直撃する。ファントムは低いうめき声をあげた。 「ファントムっ!」 コピーエックスは悲痛な声をあげて、自分を腕の中に抱きしめて守ったファントムを見つめた。 「御身が…これ以上、傷つかれることはありませぬ」 ファントムは安心させるかのような優しい声で囁いた。 「拙者が…御身を、いついかなるときでもお守りいたします……」 仮面の奥のファントムの目がこれまで見たことがないほどの慈愛の目でコピーエックスを見つめる。 「ファントム……」 己が傷つくことも厭わずに、ためらいもなく命を賭して自分を守ろうとしたファントム。彼の行動を目の当たりにして、コピーエックスは衝撃を受けていた。 四天王たちの庇護の下、今まで危険にさらされることもなく生きてきたコピーエックスだったが、自分の身が危険にさらされてファントムに守ってもらったのは今回が初めてである。ファントムの使命――護衛という役目がどういうものなのか、ファントムの背負う責務と覚悟を初めて理解した。 「エックス様、お怪我はっ?」 ハルピュイアは慌ててエックスのそばに駆け寄る。 「もうやめてくれ、ハルピュイア!」 コピーエックスは立ち上がると、ハルピュイアの腕にしがみついた。 「エックス様…」 コピーエックスはハルピュイアを見上げて必死に訴える。 「たしかに言いだしたのはファントムだけど、ボクがファントムに命じたんだ! 連れて行けって!」 コピーエックスの顔は毅然とした統治者の顔になっている。 「ファントムが罰せられるなら、ボクも罰を受けるべきだ」 コピーエックスはファントムの隣に立つと、膝をつこうとする。 「お待ちをっ…」 ハルピュイアは跪こうとするコピーエックスを止めて立ち上がらせた。主人にそんなことをさせるなどもってのほかだ。 「どうするの、ハルピュイア?」 コピーエックスはハルピュイアを見つめる。先ほどの怒り狂ったハルピュイアの怖さを思い出し、内心震えたが、必死に己を奮い立たせた。 ハルピュイアとコピーエックスはしばらく見つめあう。とても長い沈黙が流れた後、先に口を開いたのはハルピュイアだった。 「…エックス様がそこまで仰るのでしたら、此度は許しましょう」 コピーエックスは内心ほっとする。だが、顔はまだ緊張のあまり強張ったままだった。 「ただし次に同じことがありましたら、そのときは必ず罰を受けていただきます」 ハルピュイアは釘をさした。そしてまだ立ち上がれないでいるファントムを見下ろす。 「…エックス様に感謝するのだな」 ハルピュイアは厳しい表情で睨みつけた。 「お前はメンテナンスルームで治療を受けろ。レヴィアタン、ファントムに付き添ってやれ」 ハルピュイアはレヴィアタンに命じる。 「わかったわ」 レヴィアタンはよろよろと立ち上がったファントムを支える。 「ファントム…」 痛々しそうなファントムの姿に、コピーエックスの心が痛んだ。その心中を察したのか、ファントムは首を静かに振った。コピーエックスはレヴィアタンを見る。 「レヴィアタン、ファントムを頼む」 「わかりました」 レヴィアタンに支えられながら、ファントムはトランスルームを出て行った。 「さあエックス様、お部屋に戻りましょう」 ハルピュイアはいつもどおりの優しい表情に変わり、コピーエックスの背中に手を回す。 その変貌振りに、コピーエックスはハルピュイアを怖いと改めて思った。普段から海千山千の議員たちを相手に議論や駆け引きを繰り広げ、他の四天王たちや部下たちに、ときとして冷徹な命令を平然と下す。ハルピュイアは優しいだけの存在ではないことを思い知る。同時に不安も感じた。もし、自分がオリジナルエックスの身代わりを努められなくなったら、ハルピュイアは自分をどうするのだろうか。そう思うコピーエックスは小さく身を震わせた。 * * * 自室のスリープカプセルに寝転がったコピーエックスは、脳裏にファントムを思い浮かべる。 ずっと憎んでいたはずなのに、今はその感情が出てこない。これはどういうことなのだろうか。大嫌いだった、憎んでいたはずなのにと、コピーエックスは考える。 (まず、ファントムが戻ってきたら礼を言おう)コピーエックスはそう思うと目を閉じ、休息に入った。 * * * 後日、コピーエックスはファントムを自室に呼び出した。 「具合はもういいのか」 椅子にこしかけたまま、コピーエックスはファントムを見た。 「はい、ご心配をおかけいたしました」 ファントムは頭を下げる。 「ねえ、ファントム。お前は誰かを好きになったり、その人を逆に嫌いになったりしたことがある? 好きなのに嫌い。嫌いなのに好き。…この感情は何だと思う?」 しばらく沈黙した後、ファントムは語り始める。 「人間とは、相手を好きになったり、また、憎んだりすることがある、実に複雑な感情を持った生き物です。御身はオリジナルのエックス様と同じく、限りなく人間に近づけて設計され造られました。御身もその影響を受けているのではないかと思われます」 ファントムの言葉を聞いて、コピーエックスは驚きを隠せなかった。ファントムは自分がコピーエックスに疎まれていることを知っていたのだ。 「気づいていたのか?」 「御意」 コピーエックスの問いにファントムはいつもどおりの穏やかな声で答えた。 「どちらも、御身の本心でございましょう」 「じゃあ、どうして…。どうしてお前は、嫌われているってわかってるボクを、ハルピュイアから守ってくれたの?」 「御身に寄り添い、いかなる時も身を尽くしてお仕えし、お守りするのは我が使命でございます。それに御身が今日までいかに苦しんでこられたか、拙者はよく存じておりました。この上、御身がお心だけでなくお体まで傷つかれることは断じてさせたくありませんでした」 コピーエックスの脳裏に、ファントムが自分を守って傷ついたときの光景がよみがえる。ファントムの自分を思う心に嘘偽りはないことはあのときによくわかった。そしてあのときファントムが言った言葉―『御身が…これ以上、傷つかれることはありませぬ』―その意味を理解した。 「しかしながら、拙者は御身を繋ぐ枷から御身を解き放つことはできませぬ。御身はネオ・アルカディアにとって必要不可欠なお方なのですから」 「ボクがオリジナルのエックスじゃなくても?」 「御意」 「お前もボクが必要なの?」 「御意」 ファントムの言葉を聞いて、コピーエックスは生まれながらに背負った自分の重責の重さを改めて痛感する。 「だけど…苦しくてたまらないんだ……。ボクはどうしたらいいの? 矛盾しているよ…こんな気持ち。わけがわからなくて、頭がすごく痛い…。君のこと、好きなのに嫌い…。苦しくてたまらない……」 胸にためこんだ思いを話すコピーエックスの表情が次第に泣き顔に変化していく。 「そのままでよいのです」 ファントムは優しく言った。 「御身はそのままでよいのです」 コピーエックスはすがるような目でファントムを見る。 「ボクは統治者になってから、いろんなことを知ってしまった。知りたくないことまで…。ボクはもう…何も知らなかった頃のようにハルピュイアたちを愛せない……」 コピーエックスは切々と自分の気持ちを語る。 「ファントム、お前は…」 コピーエックスは椅子から立ち上がると、ファントムの腰に手を回して、その顔をじっと見上げた。 「お前は…こんなボクを守ってくれるのか…? この先、ボクが今と変わってしまって、お前はもっと辛い思いをするかもしれない。それでも、お前はボクを守ってくれるのか? そばにいてくれるの?」 「御意」 ファントムはコピーエックスの視線を受け止め、静かにうなずいた。 「御身はお生まれになったときから大切にお育てした大事なお方。拙者にとって、御身は我が子のようなものでございます。己の子を守らぬ親がありましょうか。拙者には考えられぬことでございます」 それを聞いたコピーエックスはファントムの胸元に顔を埋めた。 これからも、この苦しみや痛みはずっと続いていくだろう。冷酷非情で悪意に満ちた世界で、自分はエックスの影として生きていかなければならないのだ。逃げ出すことも、投げ出すことも許されない。 「でも…お前がいてくれるなら、ボクは…これからも生きていけるかもしれない。この苦しみがずっと続こうとも……」 そう告げるコピーエックスの頬を涙が流れ落ちた。ファントムはコピーエックスを慈しむかのように抱きしめる。たとえこの先、何があろうとも、命あるかぎり、このお方にお仕えし、お守りする。ファントムはそう心に誓った。 「お約束いたします」 「うん…」 それ以上言葉はいらなかった。ファントムとコピーエックスは静かに見つめあう。そして再び二人の影が重なった。 [ END ]
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