― Freesia 前編  ―

〜[ゼロとシエル] ロックマンゼロサイドストーリー13〜



「い…急げ、ゼロ…。あの男からエックス様を……世界を…守ってくれ……」
 風の神殿で、ハルピュイアはゼロにエックスを託した。
 ハルピュイアは毅然とした表情を保ちながらも、その瞳にはエックスを守れない悲しみと不甲斐ない自分への怒りを宿していた。
 ハルピュイアの姿が、エルピスに変わる。
「フッフッフ…。そこで指をくわえて見ていろ。ゼーーーロ。お前の親友とやらが…破壊されるところを…な…」
 エルピスは狂気に満ちた笑みを浮かべる。そして眠るエックスの胸にサーベルを思い切り突きたてた。
『ゼロ…!』
 金縛りにあい、ただ目の前の光景を見ていることしかできないゼロに、エックスの悲鳴が聞こえた……。



 ゼロははっと目を開ける。
 目の前には夕焼けに染まった空が広がっていた。
 ゼロはゆっくりと身を起こす。辺りは風の神殿でも、ユグドラシルでもない。見慣れたレジスタンスベースの屋上だった。どうやら寝転んで休んでいるうちに、うたた寝をしていたらしい。
 ゼロは空を仰ぐ。ゼロの脳裏に別れ際のエックスの顔が浮かんだ。
 エックス…。結局オレはお前を守れなかった。
 だが、エックスは自分を責めることは言わず、黙って微笑むとどこかへと飛び去った。
 エックスはどこへ行ってしまったのだろうか。何故自分の傍に留まろうとしないのか。
 ゼロはエックスを思い、瞳を閉じる。
「エックス……」
 ゼロは誰にともなく小さく呟く。
 そんなゼロを、シエルが少し離れた物陰からじっと見つめていた。
「…何か用か?」
 ゼロは視線は前に向けたまま、後ろにいるシエルに問う。
「……ばれてた?」
 シエルは笑って肩をすくめる。そのまま傍までやって来て、横からゼロの顔を覗き込んだ。
「隠れるつもりはなかったの。なんだか話し掛けられない雰囲気だったから…」
 シエルはそこまで言って言葉を切る。ゼロは無言のまま何も答えない。
「気にしてるの?エックスを助けられなかったこと」
「さあな」
 ゼロは仏頂面のままぶっきらぼうに答える。
「エックスは…きっとあなたに感謝してると思う」
 シエルはゼロの本心を汲み取り、優しく言った。
「ダークエルフに囚われたエルピスを止められた。世界を、そしてエルピスの心は救えたんだもの。そうでしょ」
 ゼロは何も言わずに、空を仰ぐ。エックスに想いを馳せているのだろう。ゼロの表情に優しい眼差しが浮かぶ。
 それを見たシエルは胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
 ゼロの優しい眼差し。シエルがそれを見たのは三度目だった。
 最初に見たのは、ゼロと離れ離れになる前。エックスの導きの元、戦いに終止符を打つべくネオ・アルカディア本部にゼロが乗り込んだ日。シエルが自分の過ち――コピーエックスの製作に携わった過去をゼロに打ち明けたときのことである。
『責任なんか感じる必要ない』
 ゼロはそう言ってシエルの気持ちを受け止め、長く続いた後悔と苦しみから解きはなってくれた。
 二度目に見たのは、エックスが助けを求めてレジスタンスベースにその姿を現した日である。
 シエルの脳裏に、その時のゼロとエックスの姿がありありと甦った。



『彼はついに…ネオ・アルカディアの地下までやってきた…。そして…とうとう…封印をといてしまった…』
 ネオ・アルカディアの最深部に現れたエルピスがダークエルフの半身を復活させた事の顛末を、エックスがぽつりぽつりと語るのを、ゼロとシエルは黙って聞いていた。
『すまない…。彼の心には…ボクの声が届かなかったようだ…』
 エックスが必死にエルピスを止めようとしたのは、ゼロとシエルにもよくわかっていた。だが、エックスは止められなかった自分をひたすら責めているようだった。ひどく悲しそうなその声に、悔やんでも悔やみきれない思いが溢れている。
『しかし…彼女は……、ダークエルフと呼ばれているかわいそうな彼女は…まだ…完全に目覚めていない。ボクが…最後の力を振り絞って…目覚めないようにしているんだ…』
 エックスは辛そうな顔をして、目を伏せた。
『お願いだ、ゼロ…今すぐ、ネオ・アルカディアに来てくれないか…。そして彼を止めてくれ』
 エックスは一旦言葉を切ると、ゼロを無言で見つめた。ゼロとエックスの目が合う。エックスは今にも泣き出しそうな悲しい表情を浮かべている。それは自分にはどうすることもできないやるせなさと、ゼロを危険に向かわせることを申し訳なく思う気持ちが混じり合った切ないものである。
『頼む…ゼロ…』
 エックスはうなだれ、今にも泣き出しそうな声でゼロに哀願する。
「言っただろう。オレがやると。だから心配するな」
 ゼロはエックスの頭にぽんと手を載せると、口元に笑みを浮かべた。ゼロの言葉はエックスにとって何よりの慰めであった。エックスは泣き出しそうな顔のまま微笑む。
『うん…』
 エックスは涙ぐみながら、こくんと頷く。ゼロは優しい眼差しでエックスを見つめていた。
 そんなゼロとエックスのやりとりを、シエルは複雑な表情で見つめていた。
 ゼロとエックス。
 二人の絆を思い知らされたシエルは、いつも自分の傍にいてくれたゼロが急に遠くに行ってしまったように思えた。
 シエルはぎゅっと手を握り締める。ネオ・アルカディアにいた頃の、一人で研究ばかりして暮らしていた孤独な生活よりも大きな寂しさを感じ、途方にくれた。
『ありがとう…ゼロ。待ってるから』
 エックスは球状の姿になると、飛び去っていった。
 ゼロはそれを見送ると、シエルの方を振り向く。
「シエル、今すぐ転送しろ」
 ゼロの瞳には強い決意が宿っていた。
「ネオ・アルカディア内部へは直接転送できないけど…。……正面ゲートの前にだったらなんとか…。でも…ゼロ!」
 シエルはゼロを止めたかった。いくらなんでもネオ・アルカディアに、いきなり敵の本拠地に乗り込むなんて危険すぎる。一年前のときのように、ゼロが戻ってこないのではと、どうしようもない不安にかられた。エルピスを止めなくてはならないのはよくわかっている。だが、それ以上にエックスを助けるためというのが、シエルは辛かった。
「心配するな…。オレに…任せろ」
 ゼロは静かだが、力強い口調で言った。
 誰が何と言おうと、ゼロを止めることはできない。そう察したシエルは、ルージュとジョーヌに指示を出す。
「ゼロ……」
 シエルは転送されていくゼロを複雑な表情で見送った。
 ゼロは誰よりもエックスが一番大切なんだ。
 二人の会話を見て、シエルは鋭い女の直感で気づいた。
 そう思うシエルの心を切ない気持ちが満たしていく。
 ゼロが命を賭してネオ・アルカディアに向かったのは、エックスを助けるため。それがシエルには辛かった。『エックスを助けてあげて』という言葉がどうしても言えなかった。
 ゼロの優しい眼差しは自分一人にだけじゃないこと、ゼロの心の中にはエックスがいることに、シエルは心の中で苦い涙を流した。
 私…エックスに嫉妬してる。
 ゼロの心にはエックスがいる。
 どうしよう…。それでも私、どうしようもないくらいゼロのことが好き。
 その時、シエルは自分のゼロへの想いの強さを改めて実感し、同時に恋をすることの辛さと切なさを知った。



 シエルはどう言葉をかけたらいいかわからず、エックスに想いを馳せるゼロをじっと見つめることしかできなかった。
 ゼロが戻ってきてから、シエルは何度も自分の気持ちを告白しようとした。
 だがエルピスの一件で、ゼロとエックスの絆の強さを目の当たりにして以来、好きだと伝えたい言葉を探して見つからないまま、ゼロの背中を追う日々が過ぎていた。
 ゼロ…。あなたにとって私の存在は何なの? 私はエックスの代わりなの? いつも胸に溢れてるあなたへの想い……これは叶うことのない想いなの? ねえ、教えて。お願い…、ゼロ。
 シエルの心がどうしようもない切なさで溢れてくる。次第にシエルは目の前が真っ白になるのを感じた。
「ゼロ……」
 シエルの体がぐらっとよろめいた。
「シエル?」
 ゼロは倒れそうになったシエルの身体を抱きとめる。
「どうした?」
 ゼロはぺしぺしとシエルの頬を叩くが、シエルは目を閉じたままだ。顔も真っ青である。
 ゼロはシエルを抱き上げると、駆け足で屋内に戻った。




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