〜[ハルピュイアとコピーエックス] ロックマンゼロサイドストーリー17〜
コピーエックスは気がつくと、深い闇の中にいた。 闇の中で、コピーエックスは自分の犯した罪に驚愕し、絶望し、同時に耐えがたいほどの孤独にさいなまれていた。 コピーエックスの脳裏に、処理場の映像が鮮明に甦る。 ハルピュイアは、自分にそういった記録を決して見せようとはしなかった。 だが、こっそりネオ・アルカディアの防犯システムにアクセスした際、処理場の監視カメラでたまたまそれを見た。 映像の中では、レプリロイドたちが叫んでいた。 『死にたくない! まだ生きてやりたいことがたくさんある!』 命乞いをする者。ひたすら叫ぶ者。 そんな彼らにプレス機がゆっくりと降りてきて、絶叫と共に彼らを押し潰した。 ふん、いい気味…。 コピーエックスはその光景を見て心からそう思った。 人間を脅かす悪いイレギュラーを処分しただけ。当然の処置をしたんだ。人間は喜んでくれる。全部人間のためなんだ。 そのときは、彼らの苦痛など何も感じなかった。 だが、今は違う。自分のやった事の重大さを理解したコピーエックスは責め苛まれる。 「やめろ!」 叫ぶが、後悔の念は消えない。 自分は彼らを殺したのだ。 死にたくない! 彼らの断末魔の悲鳴が再び響く。 コピーエックスは肩を抱く。自分のしでかした罪にがくがくと全身が震えた。 「思い出したくないっ! 昔の事なんか思い出したくないっ! やめて……やめろっ……やめろぉーっ!」 頭をおさえながらコピーエックスは自分に叫ぶが、決して消えることはない。 自分が殺させた、いや、自分が殺したレプリロイドたちの記憶を無限に再生させてしまう。 殺された者たちには彼らを大切に思う人が大勢いた。彼らの数だけ絆があり、愛があった。 多くの絆を無情に断ち切り、愛を悲しみや嘆きに変えたのは、紛れもない自分。そして彼らの未来を奪ったのも自分なのだ。 「だって、だって…仕方なかった…。人間に必要とされるために……ボクは英雄でいなきゃいけなかった。イレギュラーを処分して平和を維持することは人間たちの願いだった」 コピーエックスは自分のしてきたことを正当化しようと、自分に言い聞かせる。だが、それは空しく響くだけだった。 「ボクは自分であることを感じたかった。オリジナルのエックスよりもすごいんだって思われたかった。人間に必要とされるのが嬉しかった。信頼されるのが、特別な存在だと思われるのが……。だって、ボクの居場所はここしかなかった。逃げ出すこともできなかった。だったら、人間たちを守るしかなかった。いい統治者でいるしかなかった……。そうしなきゃ、ボクは……」 コピーエックスの頬に涙が伝わる。 ボクのしてきたことって何だったんだ? オリジナルエックスに嫉妬して、ハルピュイアを困らせて傷つけて、大勢のレプリロイドを殺して彼らの未来を奪った……。 ハルピュイア、ファーブニル、レヴィアタン、ファントムの姿がコピーエックスの脳裏に浮かぶ。 数奇な運命で生まれたボクにとても優しくしてくれて、大切にしてくれた。 ボクはそんなハルピュイアたちの愛情を裏切り続けていたんだ。 だから、死んだのは自業自得なんだ。 こうして、いつまでも自分が殺した者たちの記憶に苦しめられなきゃいけない。 でも、どうして……。 「…ボクはあのとき死んだはず。どうしてボクはこうして残ってるの? ここは一体どこなんだ?」 コピーエックスは泣きはらした目で虚空を見上げた。 「拙者も死んだ時、同じようなことを考えておりました」 コピーエックスが声のした方を見ると、ファントムの姿が闇の中に浮かぶように立っていた。 「ファントム…」 「ここはサイバー空間。レプリロイドの魂とサイバーエルフたちが住む狭間の世界にございます」 ファントムは淡々と説明する。 「多くの魂はここに流れ着き、ある者は眠りにつき、ある者は何処かへ去ります」 「…ボクも去るべき場所に行かなければならないんだね」 コピーエックスは目を伏せた。 ファントムはコピーエックスの前に跪くと、顔を覗き込む。 「御身にはまだすべきことがございます。それは御身にしかできぬこと」 「…ボクはもう何もできないよ。だって死んだんだもん」 「あやつの心を救えるのは御身しかおりませぬ。御身もそれを望んでおられるはず」 「ハルピュイア……?」 コピーエックスの問いかけにファントムは頷いた。 「…今更、どんな顔して会えって言うのさ」 コピーエックスは自分の肩を抱く。 会うのが怖い。 自分は守ってくれようとしたハルピュイアを冷たく突き放した。 こんな自分をハルピュイアはどんな目で見るのだろう。 「エックス様」 ファントムが呼びかける。とても優しさに満ちた声だった。 「ハルピュイアがお嫌いですか?」 コピーエックスはしばらく考えた後、静かに首を振る。 「でしたら、あやつを信じてください。御身を慈しむ心に偽りはございませぬ」 信じる。 オリジナルエックスへのコンプレックス、つまらない誇りと意地が邪魔をして、ずっとできなかったこと。信じて裏切られるなら、最初から信じないほうがましだと思ったから。 ハルピュイアは自分の上にオリジナルエックスの面影を重ねていた。 自分を見てくれてはいない、自分は身代わりなんだと、惨めに思って何度も泣いた。 自分の上にオリジナルエックスの面影を重ねているような目で見られるのが嫌だった。 だから憎んだ。 でも今ならわかる。いけないのはボクなんだ。 ハルピュイアは、彼なりにボクに優しくしてくれた。 ボクが自分の本当の気持ちをハルピュイアに伝えようとしなかっただけ…。 ボクを見て。ありのままのボクを好きになって。 ちゃんと気持ちを伝えていれば、ハルピュイアは優しいから、ボクの望んだように振舞ってくれたかもしれない。 もしもボクが言っていたなら…。 だが、すべては遅すぎた。この世に『もしも』は存在しない。 「…もう遅いよ」 「……それは御身次第でございます」 コピーエックスは目を閉じて、ハルピュイアがどれだけ自分を守ってくれてきたのか考えてみた。 自分の命を優しく育んでくれたハルピュイア。 いつも傍にいて、自分を支えてくれたハルピュイア。 バイルに利用されている自分を助けようとしてくれたハルピュイア。 自分はそんなハルピュイアをなじって追い出した。 ずきんと胸が痛み、涙が溢れてくる。コピーエックスの目から後悔の涙が次々と流れ落ちた。 ファントムは黙ってコピーエックスを見守っている。 コピーエックスは目を閉じたまま、自分がハルピュイアにしたことを思い出しながら、罪悪感と後悔にじっと耐えていた。ぎゅっと手を握り締める。 こんな自分をハルピュイアは今までどおり受け入れてくれるのか…。 でも、ハルピュイアはずっとこんな自分を信じて尽くしてくれた。 今度は自分が信じる番だ。 たとえハルピュイアに突き放されてもいい。 ただ自分の気持ちを言わなければならないのだ。たとえはいつくばってでも。 言わなければ相手に伝えることはできない。 「行かなくちゃ……」 コピーエックスは涙を拭い、立ち上がる。その様子にファントムは口元を綻ばせた。 「御身が望まれるのでしたら、拙者がハルピュイアのもとまでお連れしますが」 「ううん。一人で大丈夫。もう大丈夫だから」 コピーエックスはファントムを見上げる。 「お前も…すべきことが残ってるから留まってるんだろう」 「御意」 「だったら、お前は自分のすべきことを優先するんだ」 コピーエックスはにこっと笑う。そしてファントムの首に両手を回して抱きしめた。 「ファントム」 目を閉じたコピーエックスの脳裏に、ファントムと過ごした思い出が蘇る。 ファントムとは主従を超えた絆があった。影のように、片時もコピーエックスから離れず、まるで父のように守ってくれた。 何も言わず、ただそばにいてくれる。そんなファントムを疎ましく思ったこともあったが、やはり大好きだったのだと実感した。 「ありがとう…さよなら」 ファントムは答える代わりに、コピーエックスの腰に手を回して、強く強く抱きしめた。 オリジナルエックスと邂逅を果たし、サイバー空間から帰還したハルピュイアは、バイルの元へ向かっていた。 一陣の風が巻き起こり、辺りにいたメカニロイドたちを切り裂きなぎ払う。自分を取り囲む敵を一掃したハルピュイアは一息ついた。 もう敵の気配は感じない。この辺りは大丈夫だろう。 先に進むべく、飛び立とうとしたその時。 『ハルピュイア』 ハルピュイアは突然聞こえた声に動きを止める。 まさか。 振り向くと、そこにコピーエックスが立っていた。不安を湛えた表情でハルピュイアをじっと見つめている。 「え、エックス様……?」 ハルピュイアは戸惑う。 確か、コピーエックスはバイルの罠にはめられて死んでしまったはずだ。 しかし、目の前にいるのがまぎれもないコピーエックス本人だと、自分の本能が伝えていた。 「エックス様…」 ハルピュイアは呆気にとられたような顔でコピーエックスを見つめていた。だが、やがて自分の本分を思い出したのか、慌てて跪く。 変わっていないその様子に、コピーエックスは安堵したように微笑んだ。 「ハルピュイア」 コピーエックスはハルピュイアの手を取って立たせる。 「許せ」 コピーエックスは短く言った。 「ボクがバカだった……君に裏切られたと思い込んで。君はボクをずっと守ってくれてたのに……」 コピーエックスの目から涙が溢れてくる。 「エックス様……」 ハルピュイアは頬に流れる涙を拭おうとして、躊躇する。 「触ってくれないのか? 君は触れてもいいって……言っただろう」 ハルピュイアはコピーエックスの言葉を聞いて、そっと頬に手を触れ、流れる涙を拭いてやる。 「エックス様……」 「最後にこれだけは言っておきたかった」 コピーエックスはハルピュイアの胸にしがみつき、わっと泣き出した。 「許せ、ハルピュイア! 君はボクのために尽くしてくれたのに、君を信じようと思ったのに、つまらない誇りが邪魔をして……」 「エックス様。以前も申し上げました。あなたがどんなに悪いことをしようともオレはあなたを愛することはやめませんし、あなたを決して嫌いにはならないと。あなたはお一人しかおられないのですから」 ハルピュイアは無限の愛情を込めた声で言った。 その言葉と共に遠い日の記憶が甦る。コピーエックスは自分がどれだけ愛されていたのかを改めて理解した。 「ボク、大事なことを忘れてたよ」 コピーエックスの頬をまた涙が流れ落ちる。 「ボクは君に…、ファーブニルやレヴィアタンやファントム…みんなに愛されてるってこと。みんなが好きだっていうことを」 レヴィアタンとファーブニル。二人に会うことはもうかなわないが、彼らにもちゃんと『ありがとう』と言いたかった。 「お別れだね…」 「エックス様!」 コピーエックスはハルピュイアの胸に顔を埋める。 「ボクは…オリジナルエックスのコピーだけど……。だけど、君と過ごした時間やこの気持ちは本物だよ」 「はい」 時々は思い出してね。エリアXで過ごした日のことを。 コピーエックスは心の中で思った。 「……行きたくない。やり直せるなら、もう一度…君とゼロからやり直したい……!」 コピーエックスは涙声で呟く。 去り際を前にしたコピーエックスは、できることなら生き延びて別の自分になりたかった。 ネオ・アルカディアの象徴として申し分のない自分でいようと努力してきたその情熱を、今度はハルピュイアたちに注いであげられる、そんな自分になりたかった。今度はもうハルピュイアたちを困らせたりしない。誰も傷つけたりしない。 コピーエックスはそれは叶わぬ願い、わがままだと理解していた。 どんなに願っても、過去を変えることなどできないし、時間を戻すことはできない。 そして、死んだ者の命は帰ってはこないし、彼らを殺した自分の罪は決して消えることはない。 そう思うコピーエックスの目を涙が伝い落ちた。 「ボクはいなくなるけど……君の中にボクの記憶があるかぎり、ボクは君と一緒だから。いつまでも一緒だから。そうだよね、ハルピュイア」 「はい。あなたはいつもオレの心にいてくださいました。これからもずっと共に……」 ハルピュイアはコピーエックスの頭を優しく撫でてやる。 「ボクは…ボクに生まれてきてよかった。君に会えて幸せだった……ありがとう」 コピーエックスは顔を上げると、にっこりと微笑んだ。その表情は、昔見せていた無垢で清々しい笑顔、心からの笑顔だった。 お互いの顔を見つめあう。この一瞬は二人にとって永遠だった。 「愛してる」 コピーエックスはつま先立ちハルピュイアの頬に口付けると、最後の言葉を告げた。 「オレもです」 ハルピュイアはコピーエックスを強く抱きしめた。 強い抱擁の中でコピーエックスは安心したように目を閉じる。その瞬間、ハルピュイアの腕の中のコピーエックスは無数の光となって跡形もなく消えていった。 「エックス様……」 ハルピュイアは抱きしめていた手を握り締める。そのまま呆然と地面に座り込んだ。 「エックス様…エックス様……っ」 泣きながら、ハルピュイアは何度もその名を呟く。 自分の腕の中にいたコピーエックスは、その時をどんな顔で受け入れたのだろうか。 笑っていたのだろうか。それとも泣いていたのだろうか。 『また明日。おやすみなさい』 ユグドラシルでいつもどおりの挨拶を交わして別れたエックス。 『では参る。ご免』 ゼロとの戦いに赴き、戻ってこなかったファントム。 オリジナルエックス。ファントム。 尊敬し愛していた主人、共に生を受け誓い戦った友。ハルピュイアの脳裏に自分の大切な者たちの姿が次々と浮かぶ。 『ボクは君に会えて幸せだった』 最後にコピーエックスの姿が浮かんだ。 去る間際、自分に謝るために現れたコピーエックス。 主人を失いたくなくて、思い出を永遠にしようとした。エックス様を蘇らすにはこれしかない。そう思い、エックスのDNAを科学者に提供した。 数奇な運命で生まれたコピーエックスは幸せだったのか。 生まれる前から己の存在意義を決められ、自らの意思で未来を選ぶことができない。 思い出は取り戻すものではなかった。 コピーエックスに拒まれ幹部の座を下ろされたことで、その事実を理解したハルピュイアは後悔し、悩んでいた。 だがコピーエックスは最後にはっきりと言った。自分は生まれてきてよかったと。 ハルピュイアの目を、涙がまた伝い落ちる。 『ボクは君と一緒だから。いつまでも一緒だから』 ハルピュイアの脳裏にコピーエックスの言葉が甦る。 コピーエックスとの思い出。 それらはもう痛みを伴うものではなかった。それどころか暖かな気持ちになれた。自分を力づけてくれるように感じた。 思い出は取り戻すべきものではない。 だが、積み重なった思い出は強さになる。 それは未来を生きるための大切なもの。 ハルピュイアはそのことを今はっきりと理解していた。 「エックス様、オレは人間を守るため戦い続けます。正義に賭けたこの命、尽きようとも…」 ハルピュイアはエックスに告げるかのように呟くと、顔を上げる。その顔にもう迷いや後悔はなかった。 夜明けの光を受けて、辺りがきらきらと輝いている。まるで絵画の一枚のような風景の中、ハルピュイアは空へと飛び上がる。 人間を守るために。 オリジナルエックスとコピーエックス、二人のエックスの願いと意志を継ぐために。
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