― 闇からの誘い 前編 ―

〜[エルピスとシエル] ロックマンゼロサイドストーリー11〜



 エルピスが目を開けると、そこはメンテナンスルームの中だった。
 カプセルに仰向けになって天井を見上げていた。自分が何故ここにいるのか、今まで何をしていたのか、はっきり思い出すまでに時間がかかった。やがて、すべての記憶が甦ってきた。
「おお、気がついたかね」
 エルピスの意識が回復したことに気づき、セルヴォが覗き込んでくる。
「作戦は…皆は……どうなりました……?」
 エルピスの問いに、セルヴォは黙って首を横に振る。
「な、何故…私だけが……」
「ゼロが君を助けてくれたんだ」
「ゼロ…さんが………?」
 エルピスはそのまま黙り込む。それは知りたくない事実だった。
「ゼロは今、特殊爆弾を積んだ爆撃機を迎撃に出撃している。シエルを連れて」
「…っ! シエルさん!?」
 エルピスは慌てて起き上がり、痛みに顔をしかめた。
 慌てて支えようとするセルヴォを制して、エルピスは責めるように叫ぶ。
「な…何故です! 何故、シエルさんを…そんな危険なミッションに……!」
「シエルが志願したんだ。ゼロもシエルの気持ちを尊重した」
 エルピスは言葉を失う。シエルの行動に衝撃を受けているのか、目も虚ろだった。
「大丈夫。二人とも無事に帰ってくるさ」
「しばらく……一人にしてもらえませんか?」
 エルピスの弱々しい言葉にセルヴォは無言で頷くと、ロシニョルを伴い、メンテナンスルームを出て行く。
 残されたエルピスはがっくりとうなだれ、再びカプセルに横たわると瞳を閉じる。
 目を閉じると、ハルピュイアたちに返り討ちにされて、次々と殺されていく仲間たちの姿が浮かぶ。
「私だけが…生き残るなんて………」
 エルピスは誰に言うともなく呟く。
 死んでいった仲間たちの幻影がエルピスを苦しめる。だが、これらの幻影を頭から追いやることが出来なかった。 それがなおさらエルピスを苦しめる。
 正義の一撃作戦。きっとうまくいくと、自分のすべてを賭けた作戦。だが、結果は無残に終わった。自分のせいで大勢の仲間が死んだ……。
 どうしてこんなことに……っ!
 エルピスは沈痛な表情を浮かべる。
 自分が犯した最大の失敗。そして、今……その失敗を拭おうとしているのが、あのゼロである。
 それがエルピスにとっては屈辱だった。
 さらに、シエルがゼロの身を案じて危険なミッションに同行したことが、シエルがどれだけゼロを想っているのかを、エルピスに嫌というほど痛感させた。
「シエルさん……あなたはそこまでゼロのことを………」
 エルピスは顔を強張らせていく。

『私は……ゼロが好き。大好き……!』

 以前聞いたシエルの言葉が脳裏をかすめ、エルピスの頭の中に過去の光景がよぎった。




「シエルさん、お邪魔します」
「エルピス?」
 シエルは振り返ると、ゴーグルを外して、珍しい来訪者を出迎える。エルピスは手に資料の束を持っていた。
「資料をお届けに来ました。ぺロケさんがお忙しそうでしたので、私が代わりに…」
 司令官として多忙な職務に負われるエルピスはめったにシエルの部屋を訪れることはない。だが、たまにはシエルの顔を見たい…。その気持ちから、エルピスは偶然廊下で会ったぺロケに頼んで、資料を届ける役目を買って出たのだ。
「ありがとう。ごめんなさいね、エルピスも忙しいのにこんなことをさせて…」
 シエルが申し訳なさそうな顔をして謝ると、エルピスは気にしないで下さいと言いたげに手を振る。
「いえ、お気になさらないでください。シエルさんの研究に必要なものですし、シエルさんが喜んでくれれば私も嬉しいですから」
「優しいのね」
 シエルは微笑んだ。エルピスはその笑顔に胸が高鳴る。
 エルピスはシエルに恋をしていた。
 シエルとの出会いが自分を変えたと言っても過言ではない。
 今まで、エルピスはずっと人間を憎んできた。ネオ・アルカディアに反旗を翻して以来、人間は保身のために自分たちレプリロイドを迫害する傲慢で憎い存在だと思っていた。
 だが、シエルは違った。
 利発で明るく、気立てが良くて、笑顔を絶やさない、向日葵の花のような人間の少女。
 シエルは、エルピスが今まで人間に抱いていた暗いイメージを払拭した。
 シエルに感じている感情が恋愛感情というものだと、エルピスが自覚するのにそう時間はかからなかった。
 まさか人間を好きになるなんて…。
 最初はかなり戸惑い、困惑したものだ。
 だが、シエルを見つめている時間、シエルと話している時間……そんな時間を重ねていくうちに、戸惑いも次第に消えていった。
 そして、仲間たち、何よりも、シエルさんが心から笑える日が早く来るように頑張りたいと、エルピスは強く思うようになった。
 エルピスはそんな想いから、レジスタンスを強化し、ネオ・アルカディアに対抗できるだけの力を得ようと躍起になって頑張った。
 そのかいあって、もうすぐ新しいレジスタンスベースも完成する。ネオ・アルカディア壊滅のための作戦――『正義の一撃作戦』のプランも、何度もシミュレーションを繰り返し、次第に具体的な形になりつつある。
 そう遠くないうちに、ネオ・アルカディアを倒し、世界が平和になる日が訪れると、エルピスは信じていた。
「研究の方は順調ですか?」
 エルピスは、円筒形のガラスの水槽の中に入ったベビーエルフを見る。
 目の前のベビーエルフはネオ・アルカディアを脱出する際、エルピスが持ち出したものだ。
 小さな体から強いエネルギーを発し続ける特殊なサイバーエルフ。シエルはこのベビーエルフを解析することで、新エネルギーを開発しようと、寝る間も惜しまず毎日研究に没頭していた。
「これがシエルさんの研究のお役に立っているのでしたら、持ち出したかいがあるというものです。ネオ・アルカディアが重要に保管していたものですが、これを研究・解析することは我々にはできませんでしたから」
 実際、ネオ・アルカディアから持ち出したものの、このベビーエルフをどのように解析するのか、どのように利用すればいいのか、エルピスたちは見当がつかなかった。
 だが、シエルはこれを見て顔色を変えた。これを元に新しいエネルギーを開発できるとエルピスに懇願し、ベビーエルフを貰い受けたのだった。
「ううん。これはとても素晴らしいエルフよ。このエルフの力を解明すれば、エネルゲン水晶に代わる新しいエネルギー……より安全でクリーンなエネルギーを生み出せるわ」
「期待していますよ。エネルギーはあるにこしたことはないですから」
 エルピスが優しい眼差しをシエルに向けた。
「ええ。それもあるけど……、新エネルギーが開発できれば、ネオ・アルカディアと戦わなくてすむかもしれない」
 ネオ・アルカディアがレプリロイドを弾圧し始めたのは、エネルギー不足が原因だった。人間の社会を守るため、能力の低いレプリロイドはエネルギーの無駄遣いだと弾圧され処分していったのだ。
「この世界の争いの歴史は、エネルギーを巡る争い。新しいエネルギーが開発できれば、この争いに終わりが来るはず」
 それを聞いたエルピスは笑い出す。
「ははは……。シエルさんはお優しいのですね。ネオ・アルカディアのせいで今まで散々苦労されてきたのに、それでも平和的な解決をお望みになるなんて…」
 エルピスはじっとシエルに視線を注いだまま静かに頷く。そして、諭すような口調で言った。
「シエルさんのお気持ちはよくわかります。ですが、現状では…ネオ・アルカディアを倒すしか、この世を平和にする方法はないのかもしれません」
 それを聞いたシエルは微かに表情を曇らせた。俯くと、傍らのデスクに目を向ける。
 その様子に気づいたエルピスは、シエルの見ているものをそっと覗き込んだ。
 デスクの上には、無造作に積まれている資料の間に写真立てがあった。
「写真……ですか?」
 エルピスは目を丸くする。
 デスクの上は資料が無造作に積み上げられ、乱雑としているのに、写真立ての周囲だけ綺麗に片付けられている。その写真はシエルにとってよほど大切なものらしい。
 写真には、シエルと、精悍な顔つきの赤いレプリロイドが並んで写っている。
「シエルさん。この方は……」
 シエルは照れくさそうに微笑んだ。
「この人がゼロよ」
「この方が、伝説の英雄…ゼロさんですか」
 会ったことはないが、エルピスもゼロのことはもちろん知っている。
 かつてイレギュラー戦争で名を馳せた伝説の英雄。
 赤きレプリロイド・ゼロ。
 ネオ・アルカディア本部に侵入し、最強の戦士たちである四天王を退け、理想郷の統治者エックスを倒した張本人。
 ネオ・アルカディアに対抗するレジスタンスたちに希望をもたらした、レジスタンスの英雄である。
「前のレジスタンスベースにいたときにね、セルヴォが撮ってくれたの」
 シエルは穏やかに告げた。
 写真の中のシエルは明るく微笑んでいる。
 エルピスも見たことのないような眩しい笑顔だ。
 シエルの笑顔とは対照的に、ゼロの表情は仏頂面なのが妙に印象的な写真だった。
 そんなエルピスの気持ちを鋭く察したシエルは説明する。
「ゼロって笑ったことないの。いつもこんな仏頂面だったわ。この写真を撮るときもね、セルヴォが『笑ったらどうだ』って言ったのに、結局笑えずにこんな顔に撮られたの」
 そのときのことを思い出して、シエルは苦笑した。
「クールで、すごくがさつで大雑把で、何を考えてるのかわからないところもあるけど、根はとても優しい人だった」
 シエルは目を細める。
「ゼロと一緒にいると、どんなに辛い状況でも頑張ろうって気持ちになれたの。だから、私たちは絶望的な状況の中でも、希望を見失わずに今日まで生きてこれた。すごく強くて、がさつだけど優しくて……最高にかっこいいレプリロイドよ!」
 シエルは笑顔でゼロのことを語る。
 エルピスは、表情は笑っていたが、とても複雑な心境だった。シエルの笑顔が見れるのは嬉しかったが、それはゼロを想っての笑顔であって、自分だけの笑顔ではない。そう思うと、とても悲しく感じた。
「シエルさん…」
「何?」
「あなたは……その、ゼロ…さんのこと、お好きなんですか?」
 エルピスは思い切って、ストレートに訊いてみた。
 その問いに、シエルはふっと遠い目をする。恐らくゼロのことを思っているのだろう。
「……そうね、多分……。ううん、私は、私は……ゼロが好き。大好き……!」
 エルピスの問いにシエルははっきりと答えると、照れくさそうに微笑んだ。
 ゼロと別れてからの一年間。シエルは、会えないからこそ余計にゼロへの想いを日々募らせていった。毎日ゼロの身を案じる日々は、シエルにゼロへの想い…愛を自覚させるのに十分だった。
 ゼロと離れ離れになったことで、シエルはゼロへの愛を自覚し、その想いはより強いものとなっていた。
 エルピスの表情にさっと影が差した。が、すぐに笑顔を取り戻すとシエルに優しく微笑む。
 エルピスは、シエルにゼロのことを初めて聞かされたときから、シエルはゼロが好きなのではないかと察していた。ずっと前から、きっとそうなのだろうと思っていた。この返答は予想していたものの、いざシエル本人の口から言われると、とても辛く、悲しかった。内面の辛さを顔に出さないよう、あえて笑おうとする。
 エルピスの胸中など知らないシエルは、照れた表情をしながら、写真のゼロに視線を戻した。
「人間がレプリロイドを愛するなんて、珍しいかもしれないけど……ね」
「いえ、そんなことはありませんよ」
 その言葉に、シエルはエルピスに顔を向ける。
「人間がレプリロイドを好きになる……分かる気がします。現に、その逆だってありますからね」
「エルピスも人間を好きになったことがあるの?」
 シエルは興味津々といった様子で訊いてくる。
 天才科学者ドクター・シエルと呼ばれているとはいえ、こういったところはやっぱり年頃の娘である。
「あ…はい……」
 エルピスは遠まわしに想いを伝えたつもりだったのだが、シエルには伝わらなかったようである。もっとも、シエルがエルピスをそういった対象として見ていないのだから、仕方のないことではあるが。
「ねえ、エルピスが好きな人ってどんな人だったの?」
 シエルが目を輝かせて、エルピスの顔を見上げてくる。
「そ、それは……」
 こんなに近くでシエルを見たのは初めてだったので、エルピスはどきどきする。
「わ、私の好きな人は……」
 目の前にいる人ですと、エルピスは言おうとした。だが…。
「……秘密です」
 結局、土壇場で言えなかった。
「あ、ずるーい」
 シエルは腰に手を当てて、可愛らしく怒ってみせる。
「いえ…その……わ、私は………」
 困った顔をするエルピスの反応がおかしくて、シエルはくすくす笑う。
「ふふっ。まあいいわ。話してくれる気になったら教えてね」
「……はい」
 エルピスは素直に答えた。
 シエルさん、すみません。今はまだ言えません。
 でも、今度の作戦――『正義の一撃作戦』が成功したら、ネオ・アルカディアを倒したら……、その時は必ず言います。
 シエルさん、あなたを愛しています…と。
「シエルさん。先ほどの話に戻りますが……」
 エルピスは、水槽の中でふわふわと漂っているベビーエルフに視線を移した。つられてシエルもベビーエルフを見る。
「シエルさんの仰るとおりにします。あなたが新しいエネルギーを開発されるまで、ネオ・アルカディアに攻撃をかけるのは待ちましょう」
 シエルは嬉しそうに表情を崩した。
「お願いね。できることなら、無用な争いは避けたいの」
「あなたは本当にお優しい方ですね」
 エルピスは歯を見せて笑った。
「では、私はそろそろ戻ります。シエルさんも研究を頑張ってください」
「ありがとう。エルピスもあまり無茶しないでね」
「はい」
 エルピスは柔らかく笑うと、身を翻す。
「頑張ってね、エルピス」
 肩越しに見ると、シエルが笑顔で手を振っている。
 エルピスは会釈して、部屋から出て行った。
 見ていてください、シエルさん。私は皆を、あなたを守ってみせます。必ずネオ・アルカディアを倒し、レプリロイドが幸せに暮せる世界を築いてみせます。
 エルピスは心に固く誓った。



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