― 闇からの誘い 後編 

〜[エルピスとシエル] ロックマンゼロサイドストーリー11〜



 幸せだった。
 殺すか殺されるかの過酷な戦いの日々にありながら、毎日が充実していた。
 皆に信頼され、シエルに見守られ、レジスタンスを強化しようと必死になって頑張った。
 しかし……ゼロが現れた日から、その幸せにひびが入り始めた。
 シエルがゼロを見る目。それは自分と同じ目……恋をする目……誰かを愛する目だった。
 シエルがゼロを好きだということはわかっていたが、実際にそれを目の当たりにして、もしかしたらゼロではなく自分を選んでくれるかもしれないという淡い期待が崩れていった。
 そして、今。シエルはゼロの身を案じ、自ら危険なミッションへと向かった。ゼロと共に。
 シエルさん……。あなたはそこまでゼロのことを…。
 私では、だめなんですか?
 目の前にいないシエルに、エルピスは心の中で問い掛ける。
 だが、その答えはエルピス自身わかっていた。
 エルピスは自嘲の笑みを漏らす。
 シエルとゼロの絆の強さ、何よりシエルの強い想いを痛感した。
 二人の間に割りいることはできない。そう、私には………できないのだ。
 エルピスはよろよろと立ち上がる。全身がまだ痛むが、頑なに無視した。
 メンテナンスルームにも通信用のコンピューターがある。
 エルピスはその前に立つと、端末を操作して、コンピューターを起動させる。
 すぐ傍の机の上に置かれている空のディスクを取り、コンピューターに差し込んだ。
「シエルさん…作戦は、失敗しました」
 エルピスは震える声でマイクに向かって語り始める。
 シエルが帰ってきたとしても、会わす顔がない。
 レジスタンスベースから去る。それが、悲しみ、絶望、失意――様々な負の感情に縛り付けられたエルピスに出来る、たった一つの方法だった。
 だが、出ていく前に、シエルさんに作戦の結果を報告しなければ。
 それがエルピスの司令官としての務めであり、シエルに対するけじめだった。
 自分の胸に溢れている悲しみを無理やり押さえ込んで、報告を続ける。
「すべては…私の責任です」
 淡々と語るエルピスの声は震えていた。

『ネオ・アルカディアは、甘くない。奴らと正面からぶつかるな。今までどおりのゲリラ戦で時間を稼ぎ、シエルの研究が完成するのを待て』

 エルピスの脳裏に、ゼロが言った言葉が甦る。
 あの時、エルピスはゼロにこう言い返した。

『我々はかなりの力をつけてきました…。あなたに頼るしかなかった時とはもう違います。今は我々だけで十分やれるんですよ』

 あの時、ゼロはエルピスの言葉に怒る素振りも見せず、無言のまま見つめていた。
 ゼロは何もわかっていないのだと、エルピスは思った。
 だが、わかっていなかったのは自分の方だった。
 怒るわけでもなく、あれ以上何も言わずに、冷ややかな目を向けたゼロ。
 きっとゼロは、何も知らず血気にはやる自分を見下し哀れんでいたのだ。そうに違いない。
 そう思うと、エルピスはますます自分が愚かで惨めに思えた。
「ハハ…。私は、ダメなヤツです…。ネオ・アルカディアでは、いつも下っぱで………」
 そうだ。自分は形式番号しか持たない量産型レプリロイド。
 ネオ・アルカディアのエリートレプリロイドをはじめとする、特権階級のレプリロイドたちとは雲泥の差だった。
 人間や特権階級のレプリロイドにこき使われるだけの惨めで哀れな機械。
 だが、シエルと出会い、ここへ来て、今までの惨めな立場から一転してすべてが変わった。
 しかし、それは『正義の一撃作戦』の失敗と共に泡沫と化した。
「ここに来て、ようやく司令官になれたのも束の間…すべて台無し…です…」
 エルピスは頭を振り、怒りも新たにこぶしを握った。しかし、それ以上に怒りを感じるのは、わが身の傲慢さと無力さだった。
「それもこれも…私に力がなかったから…」
 そう。ゼロやハルピュイアのような力があれば…。
「力が欲しい…力が欲しいよ…。力を手に入れ…ネオ・アルカディアを…人間を…滅ぼし…今度こそ…英雄になってやるんだーーー!」
 エルピスの叫びがメンテナンスルームに響き渡った。




 コマンダールームの扉が開き、エルピスが入ってくると、ルージュとジョーヌは驚きの表情を浮かべる。
「司令官、もう起き上がって大丈夫なのですか?」
「今、ゼロさんとシエルさんが爆撃機迎撃に向かって……」
「わかっている!」
 エルピスは語気を荒げて叫ぶ。
「状況は…どうなっていますか?」
「今、爆撃機内にゼロさんが侵入。コントロールルームに向かっています」
 エルピスの問いにルージュが状況を説明した。
 大丈夫だろう。ゼロなら。何故なら、伝説の英雄さんなのだ。
 そう思うエルピスは一瞬引きつった笑みを浮かべる。
「どうか…このメッセージをシエルさんに……」
 エルピスは、ルージュに先ほどのメッセージを記録したディスクを渡す。
「それからシエルさんに、司令官代行に指名すると伝えてください。どうかお願いします」
「司令官は……どちらへ?」
 ジョーヌが尋ねるが、エルピスは何も答えずに背を向ける。
 その悲痛な後ろ姿に、ルージュとジョーヌは何も言えなかった。
 エルピスはふらふらとおぼつかない足取りで歩き出す。
 その時。

《力が…欲しいのね?》

 エルピスは誰かに呼ばれたような気がした。
 まるで糸で手繰り寄せられるかのように、エルピスは廊下へ出た。

《仲間を殺したハルピュイアが憎いのね?》

 エルピスは謎の声に導かれるまま、夢遊病者のような足取りで歩いていく。
 廊下のつきあたりにはシエルの部屋がある。
 謎の声の主は、この中にいる。
 そう思ったエルピスが扉の前に立つと、部屋の扉はロックされていないのか、エルピスを室内に誘うかのように開いた。
 扉の向こうは真っ暗だった。だが、部屋の奥だけはぼんやりと光っている。
 エルピスは光の方へと歩き出す。
 奥には円筒形のガラスの水槽があり、それに入れられた2体のベビーエルフがエルピスを見ていた。
 ベビーエルフの一匹は、ネオ・アルカディアからエルピスが持ち出したもの。もう一匹は、デュシスの森の遺跡に保管されていたものをゼロが持ち帰ったものだ。

《力が欲しいと願ったのはあなたね》

 不思議な声がエルピスの頭に直接響いた。
 自分に語りかけてくる声に、エルピスは目を見張る。
 頭の中に直接響く声。それは目の前のベビーエルフが語りかけているのだと、エルピスは本能的に悟った。
「お前たちは一体……?」

《あなたの心が私たちを呼んだのよ。だから、あなたをここに導いたの》

「私が……お前たちを呼んだ………?」

《ええ。力が欲しいんでしょ?》

 エルピスはベビーエルフに誘われるように、ガラス越しに手を触れた。
 ぴしっと何かが割れるような音が頭の中に響く。
 痛みに似た感覚をエルピスは感じた。それがガラス越しに触れた手から、徐々に全身に広がっていく。
 痛い……。痛くて苦しい………。
 わかっているのに、エルピスは手を離すことができなかった。
 顔を反らすこともできないまま、目の前のベビーエルフを見つめる。
 そんなエルピスの戸惑いを察してか、ベビーエルフが放つ光が瞬く。エルピスにはベビーエルフが笑っているように見えた。

《強くなりたいでしょ? だったら、お母さんを解放すればいいのよ》

「…お母さん?」

《ダークエルフ……お母さんは『エックス』の中に閉じ込められてるの。『エックス』を壊せば、お母さんは解放される。きっとあなたに力を与えてくれるよ》

 ベビーエルフが見せたのか、エルピスの脳裏にどこかで眠る『エックス』の姿が浮かぶ。
「壊す……エックス…様を……?」
 一瞬。思わずエックスを様付けで呼んだ事に、エルピスはかつて抱いていた畏敬の念を思い出し、躊躇する。

《復讐…したいでしょ?》

 ベビーエルフの囁きが、エルピスの頭に響き渡る。
 その言葉にエルピスはズキっと胸が痛む。全身が小刻みに震えた。
 正義の一撃作戦。
 返り討ちにあい、次々と無残に殺されていく仲間たち。
 それを嘲笑う四天王。
 そして……、自分を見下すハルピュイア。
 ベビーエルフが見せたのか、エルピスの脳裏にそれらが走馬灯のように現れては消えていく。
 心の奥底……自分の最も触れられたくない部分をまさぐられている感覚を感じて、エルピスは身を震わせる。
 同時に、過去の記憶が鮮明に浮かび上がる。
 昔、ネオ・アルカディア都市管理局で働いていた自分。
 自分の仕事に不満は感じなかった。自分の仕事、自分の担う役割に誇りを持っていた。ささやかながら、平穏な毎日を過ごしていた。だが、どこでどう運命の歯車が狂ってしまったのだろうか。
 自分だけじゃない。大勢のレプリロイドの運命が狂わされ、処分されていくことになったのは何故だろう。
 すべては人間たち……ネオ・アルカディアのせいだ。
 だから、我々はネオ・アルカディアを脱出し、自由に暮らせる新しい世界を求めた。
 ただ、平穏に暮らせる日々を手に入れるために。
 その願いすら、ネオ・アルカディア――ハルピュイアは無残に砕いた。
 エルピスの心にどす黒い感情が広がっていく。
 それを促すかのように、ベビーエルフの声がさらに響く。

《そう、許してはいけない。ハルピュイアに思い知らせてやればいいの。復讐してやればいいのよ》

「…ど、どうやって……?」
 相手は賢将。エックスの行政を支えるネオ・アルカディアの影の統治者。ネオ・アルカディア最強の戦士たち――四天王のリーダー。今の自分では、相手の足元にも及ばない存在だ。

《私たちが力を貸してあげる。それにお母さんを解放すれば、あなたはハルピュイアなんかよりはるかに優れた存在になれるわ》

「私がハルピュイアよりも優れた存在になれる…?」

《そして、ハルピュイアの大事なもの…『エックス』を壊して、力の差を見せ付けてやるの。あなたの力を思い知らせてやればいいのよ。『エックス』の苦しみはハルピュイアの苦しみ。自分の苦しみは耐えられても、大切な者の苦しみは耐えられないものよ》

「わ、私は……」
 エルピスは、先ほどネオ・アルカディアの居住区で見たハルピュイアの目を思い出す。
 昔は、よく…ゴミを見るような目で…エルピスのことを見たハルピュイア。
 同じレプリロイドだというのに、エルピスはいつもハルピュイアに見下され、蔑まされていた。
 許せない……。
 心の奥に封じた憎しみが蘇る。

《そうよ。気に入らないものはすべて壊せばいい。ネオ・アルカディアも、ハルピュイアも…。そして、あなたからシエルを奪ったゼロも》

「ゼロも…?」

《ゼロがいなくなれば、シエルはあなたを見てくれるわ。シエルはあなたのものになる。シエルはあなたを愛してくれるわ》

「シエルさんが……私を………」

 エルピスは胸が高鳴る。
 シエルが自分を愛してくれるなら…。
 シエルの心を自分のものにできるなら……!
 エルピスはまるで操られるかのような、しかし、しっかりとした手つきで端末を操作して、ベビーエルフを閉じ込めている水槽を開け放つ。
 解放されたベビーエルフたちがエルピスの傍に飛んでくる。
 ベビーエルフたちは解放された喜びを示すかのように、エルピスの周囲を八の字を描くように飛び回った。
 ベビーエルフの黒い光に照らされたエルピスは瞳を閉じる。
 瞼の裏にシエルの姿が浮かんだ。
 私はダークエルフの力を得る。そして、ネオ・アルカディアを、人間を滅ぼす。そう、すべては世界の平和のため……シエルさんのためなんだ。だったら、私は禁忌と呼ばれる力にも、この身を売り渡しましょう。
 次にハルピュイアの姿が浮かんだ。
 思い知らせてやる。お前は絶対に許さない。徹底的に苦しめる。
 最後にゼロの姿が浮かぶ。
 突然現れ、シエルさんに見守られた私の幸せを壊した男。私からシエルさんを奪った憎い男。
 見ているがいい。私はお前以上の存在になってみせる。そして、シエルさんを取り戻す!
 シエルさんが私を愛してくれるなら、私は……私は…………!
 ベビーエルフの声がエルピスの心に響く。

《さあ、行きましょう。まずはノトスの森へ。お母さんの封印を解く鍵を見つけに》
 
 エルピスは口元に歪んだ笑みを浮かべる。
「では、参りましょうか…」
 エルピスに返事をするかのように、ベビーエルフが瞬く。

 待っていてください、シエルさん。
 私はダークエルフの力を手に入れて、ネオ・アルカディアを、人間を滅ぼし、世界を平和にしてみせます。
 すべてはあなたのために。

 エルピスはベビーエルフを伴い、シエルの部屋を出る。
 扉が閉まり、室内は再び闇に沈んだ。


[ END ]

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Thank you for reading♪(^^)

ロクゼロ2の前〜ロクゼロ2の正義の一撃作戦直後におけるエルピスの話のつもりで書きました。
エルピスが力を求めて英雄になろうとしたのは、ゼロへの嫉妬からかもしれませんが、
根底にあるのは嘘偽りのないシエルへの想い――シエルに認めてもらいたいという気持ちからだった
のではないのでしょうか。
愛するもののためにあえて道を踏み外したりすることもある・・・エルピスはそんな悲しいレプリロイドでしたね。
最後の「さよなら・・シエル・・さん」の台詞も、シエルがエルピスの中でどれだけ大きい存在だったかが
窺えて本当に切なくなります。

 

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