〜[ハルピュイアとエックス] ロックマンゼロサイドストーリー7〜
『ハルピュイア』 誰かの声が聞こえる。 ハルピュイアは誰かの腕の中にもたれかかるようにじっと横たわっていた。 体を包み込むような温もりが身の安全を告げていた。 心地よい温もりの中でうつらうつらと夢を見る。 過ぎ去りし日の夢。 生まれて初めて“エックス”に出会った時。ファーブニル、レヴィアタン、ファントムと共に戦った日々。“エックス”と過ごした日々。自分にとって一番幸せだった時間。 『ハルピュイア』 眠りを呼び覚ます声が聞こえる。 目を覚ますと夢が現実に変わってしまう。目を覚ましたくないとハルピュイアは思った。 それだけハルピュイアは疲れていた。とても疲れていた。 ――現実は残酷だ。 ――オレがやってきた事はなんだったのだろう…。 ――オレはエックス様を、ネオ・アルカディアを狂わせ、壊した…。 ――もう疲れた。 ――せめて思い出の中でこのまま休みたい。 歌が聴こえる。 いつものように自分の内側からだと思ったが、違うようだった。 すぐ耳元で誰かが歌っている。 それは優しい子守歌だった。 身も心も深く傷ついたハルピュイアを慰めるかのような子守歌。 誰かがハルピュイアの頭を撫でる。それがハルピュイアには心地よかった。 『どうかそんなに自分を責めないで。君はみんなの、人間たちの戦士。君を必要としている人がまだ大勢いる。いつまでもここにいてはだめだ』 まるで子供に言い聞かせるように、誰かがハルピュイアに語りかける。 ハルピュイアをあやすような、静かで、穏やかで、透明感のある不思議な声。 「“エックス”様……?」 ハルピュイアはうっすらと目を開ける。 そこには自分を見つめる“エックス”の顔があった。 「…やっと気づいてくれた」 “エックス”は微笑んだ。 「ごめんね。今のボクにはもうたいした力も残ってないから、ボクの声、なかなか君に届かなかったようで……」 夢なのだろうかと思い、ハルピュイアは手を伸ばすと“エックス”の頬に触れる。 確かに感触はあった。夢などではない。これは現実だ。 「“エックス”様……」 出会えなくなってどれだけの時間が流れたのだろうか…とお互い感慨にふける。 それは長い時間を超えた、ハルピュイアと“エックス”の再会であった。 「会いたかった…」 ハルピュイアが言おうと口に出すその前に、“エックス”が言った。 「オレもです」 ハルピュイアは微笑んだ。 それは優しく、風のように爽やかな笑顔。“エックス”とコピーエックスの前だけで見せる笑顔だった。 「ここは…一体………」 ハルピュイアは身を起こすと、辺りを見回す。 ただ何もない空間、深い闇がどこまでも続いている。 「ここはサイバー空間」 「サイバー空間?」 「君は今、生と死の境をさ迷っている。そのさ迷う魂がこの空間に辿りついたんだ」 “エックス”は立ち上がると、辺りを見回しながら説明した。 「魂…。それでは、オレは…死んだのですか?」 ハルピュイアの問いに“エックス”は静かに首を振る。 「君にはまだ帰るべき体が残っているよ」 「エックス様は……」 「ボクは戻れない。帰るべき体を失ったから」 “エックス”の言葉に、ハルピュイアはエルピスの反乱を思い出す。 ダークエルフに囚われ、狂気に陥ったエルピスによって、“エックス”の体は破壊されたのだ。 無論、ハルピュイアは侵入してきたエルピスを迎え撃ったが、ベビーエルフとダークエルフの半身の力を得たエルピスの前に倒れ、結局“エックス”を守る事が出来なかった。 「申し訳ございません。オレが不甲斐ないばかりに」 ハルピュイアはうなだれる。 「………」 “エックス”は手を伸ばすとハルピュイアの頬をゆっくりと愛撫する。 「ハルピュイアはボクを守ろうと戦ってくれた。それだけでボクは嬉しかったよ」 「“エックス”様…」 ハルピュイアは自分の頬に添えられた手に自分の手を添えると、感極まったように微笑んだ。“エックス”のその言葉に救われた気がしたから。 「…君には、まだ君の助けを必要としている人達が大勢いるよ。君は君の世界に戻らなければ…」 「ですが、オレが帰ればあなたは……」 「…………」 “エックス”は何も言わず優しく微笑む。だがどこか寂しさを感じさせる笑顔だった。 「どうか人間を、レプリロイドを守ってあげてくれ。君ならできるよ」 “エックス”はハルピュイアをまっすぐに見る。 「エックス様……オレは………オレにそんな事ができるのでしょうか」 「ハルピュイア?」 自信がないように呟くハルピュイアを、“エックス”は不思議そうに見つめた。 「オレはエックス様を……、あなたもエックス様もお守りできませんでした。そればかりか大勢の人間までバイルから守れなかった…」 「それは君のせいじゃないよ」 ゛エックス゛が慰めるように言うと、ハルピュイアは静かに首を振る。 「いいえ。オレの責任です。エックス様――コピーエックス様がああなったのも。そしてネオ・アルカディアが今のようになったのも……!」 ハルピュイアは表情を曇らせると、“エックス”をまっすぐに見つめた。 「………お許しください。“エックス”様」 「ハルピュイア…それは違う……」 だが“エックス”の言葉を遮り、ハルピュイアは懺悔するかのように言葉を続ける。 「わかってください!オレはあなたを永遠に失いたくなかったんです!だから、コピーエックス様を…!」 自分が今までしてきた事を思うと、どうしようもない自責の念にかられ、ハルピュイアは“エックス”に告白せずにはいられなかった。 「コピーエックス様があなたではないという事はわかっていたつもりでした。ですが、それがこんな事になるなんて……」 「……………」 “エックス”はハルピュイアの言葉をじっと聞いている。 「オレは、傍にいて守ってきたはずのコピーエックス様を幸せにすらできなかった。そして大勢の無実のレプリロイド達を…。これほど罪深い事がありましょうか。そんなオレにそのような事ができるのでしょうか。オレは……オレは………!」 言いかけたハルピュイアを“エックス”が片手で制した。 「ハルピュイア。誰かを愛するという事は自分の命をかけるという事。だから君はあんなに必死になってコピーエックスを守っていた…。君はボクの身代わりなんかじゃなく、まぎれもないコピーエックス自身を愛していたんだ」 「ですが…」 「あの子も心の底ではわかっていたよ。君が自分を思う気持ちは本物だって。ただ…君が大好きだったから、その分裏切られたと思った悲しみもそれだけ深くて……だから君を憎んだんだと思う」 「…………」 ハルピュイアは、最後に見たコピーエックスの目――自分を見る怒りに満ちた目を思い浮かべ、いつも傍にいながらコピーエックスの気持ちに気づかず、その心を著しく傷つけてしまった事に後悔する。 「エックス様……」 ハルピュイアの顔にまた悲しみの表情を浮かぶ。 その辛い気持ちを察したのか、エックスはまるで親が子に言い聞かせるように、優しく言った。 「君はいい子だよ」 その言葉にハルピュイアの瞳の奥で何かが揺らいだ。 “エックス”はハルピュイアの頬に手を伸ばし、その頬を優しく愛撫しながら、真摯な瞳で訴える。 「だから……罪の意識に苦しんでる君自身を、どうか許してあげて」 「“エックス”様……」 ハルピュイアは瞳を閉じ、安堵したような表情を浮かべる。自分の頬に添えられたエックスの手を取り、跪く。そして、いつもの毅然とした表情に戻ると、力強く言った。 「承知しました。“エックス”様のご命令なら喜んで」 「ありがとう…」 その言葉に“エックス”はほっとしたような表情を浮かべる。 「……今、世界は大変な事になっている。バイルがネオ・アルカディアの全権を掌握した以上、じきに世界中でレプリロイドたちによる混乱が起こるだろう」 「バイルが…? ではエックス様は……」 “エックス”は黙って首を振る。その悲しげな表情から、ハルピュイアはコピーエックスの末路を悟った。 「…そう…ですか……」 コピーエックスの最期を思い、ハルピュイアの目が悲しく光る。 「バイルによって、百年前の戦争…妖精戦争の悲劇が再び繰り返されようとしている。それを止められるのは、ゼロと…君達四天王だけだ」 “エックス”はハルピュイアをじっと見つめる。 「今のボクには…君にボクの持つ情報を与えることしかできない。せめてそれらが君の助けになるように……。すべてを話すよ。オメガの事、ドクター・バイルの事……」 ハルピュイアを見つめる“エックス”の体が蒼く輝き始めた。 「“エックス”様……?」 戸惑うハルピュイアに、“エックス”は抱き寄せるかのように両手を前に差し出す。 「来て…ハルピュイア」 互いの瞳が向かい合い、吸い寄せられていくように、ハルピュイアは“エックス”を抱き寄せる。 “エックス”が両手でハルピュイアの顔を優しく包む。そして瞳を閉じると、額と額を合わせあう形でハルピュイアの額で輝くレンズに自分の額のレンズを合わせた。 その瞬間ハルピュイアも蒼い光を放ち始める。 遺伝子を同じくする“エックス”と共鳴し、同調しているのだ。 同時に“エックス”と共鳴するハルピュイアの中に膨大な情報が流れ込んでくる。 “エックス”の記憶、感情、そして想いが。 イレギュラー戦争。 妖精戦争。 ドクター・バイル。 オメガ。 今、ハルピュイアは“エックス”と記憶と感情、感覚……すべてを共感していた。 二人を中心に蒼い光の奔流が巻き起こり、強烈な光が闇に包まれたサイバー空間を蒼く照らし出す。蒼い光が周囲のすべてに浸透していき………そして、再び辺りは闇に沈んだ。 「そう…だったのか……」 ハルピュイアは自分の中に流れ込んだ大量の情報に眩暈を感じよろめいた。 その体を“エックス”が支えてやる。 「…………」 “エックス”は呆然としているハルピュイアを悲しげに見つめていた。 「ごめんね…」 “エックス”は手を胸の前で組むと俯く。 それしか言えなかった。 “エックス”はハルピュイアにすべてを伝えた。 それは同時に、誰にも見せたくなかった自分の隠していた心の奥底まで、ハルピュイアに見せた。 ――何故ハルピュイア達四天王を生み出したのか。 ――何故ユグドラシルで眠りについたのか。 全ては―――現実からの逃避だった。 長い長い、気の遠くなる時間。 ゼロを失い、ただ一人で戦い、生きてきた。 姿形は変わらないものの、心は擦り減り疲れきっていた。 何よりも孤独に耐え切れなかった。 心のどこかでゼロの代わりを望んだ。 自分を理解してくれる人。 自分を守ってくれる保護者。 自分を一人にしたりしない存在。 だから、ハルピュイア、ファーブニル、レヴィアタン、ファントム――四天王を生み出した。 しかし、彼らは“ゼロ”ではない。 どんなに彼らと信じあい、絆を深めようとも、ゼロの代わりはいなかった。 その事実に“エックス”は気づいた。 ゼロの代わりを求め、四天王を生み出し、彼らに力を与えて、自分と同じ戦いの中に置いた事を“エックス”は後悔した。 そう、“エックス”はハルピュイアと同じ過ちを犯したのだ。 自分にできる償いとして、“エックス”はネオ・アルカディア――人間とレプリロイドが暮せる共存共栄の都市を造ろうと決意した。 皆が、何よりハルピュイア達が平穏に暮していける居場所を。 やがて、都市が完成直前にまでなった頃。 もう大丈夫だとそう思い、“エックス”はダークエルフ封印を理由にユグドラシルで眠りについた。 ドクター・バイルに呪いをかけられたとはいえ、ダークエルフ自身に罪はない。無下に命を取るのは余りにも哀れだと思い、“エックス”はダークエルフをその身に封じた。 だが、自分の体に封じたダークエルフは確実に“エックス”自身を侵していた。 “エックス”は少しずつ自分の内に芽生える破壊衝動を自覚する。 それはダークエルフにかけられた呪いによる影響。 ドクター・バイルの呪いは、ダークエルフを封じている“エックス”自身をも確実に蝕んでいた。 “エックス”は封印を強固にするために、ダークエルフを二つに分け、一つは別の場所に、そしてもう一つを自らの身に封じたままユグドラシルで眠りについた。 『このままではいずれ自分が自分でなくなって、君達やみんなに何かひどい事をしてしまうかもしれない。ボクはそれが恐いんだ』 最後にそうハルピュイアに告げて。 ダークエルフの命を無下に奪うのはあまりにもかわいそうだ。 自分がダークエルフのようになり、ハルピュイア達に危害を与えるようになったら恐い。 それらも確かに理由の一つだった。 しかし一番の理由は……。 いつまでも得られない安息、終わる事のない戦いに疲れ果て、ハルピュイア達にすべてを任せて眠りにつき、現実から逃げたのだ。 そう、安息を得るために。 ――ハルピュイア、ファーブニル、レヴィアタン、ファントム。 ――あの子たちは強いし、しっかりしている。 ――それにハルピュイアなら、きっと自分よりも良い統治者になる。 “エックス”はそう思った。 だが、予想もしない事が起こった。 ハルピュイア達幹部は“エックス”が眠りについた事実を隠し、さらに“エックス”の複製――コピーエックスを造るという計画を考えついたのだ。 まさかハルピュイアがそんな事をするとは思いもしなかった。 ハルピュイアがどれだけ自分を心の支えにして依存していたか、“エックス”はハルピュイアの気持ちにそのとき初めて気づき、後悔した。 “エックス”の心とは裏腹に事は着々と進み、やがてコピーエックスが完成した。 自分と瓜二つのコピーエックスを見てハルピュイアは安堵し、コピーエックスを統治者として、人間とレプリロイドを守っていく決意を新たにしたようだった。 そんなハルピュイアを見て、どうかコピーエックスと共にネオ・アルカディアをみんなを幸せにしてあげて…と、“エックス”は願った。ハルピュイアはコピーエックスを大事にするだろうし、二人はきっと上手くやっていけると思ったから。 しかし、月日が過ぎるうちに次第に状況は変わっていった。 日々成長していくコピーエックスは、ハルピュイアが、皆が見ているのはあくまで“エックス”であり、自分ではない事に気づいたのだ。 “エックス”はまたしても自分の過ちに後悔した。 ――コピーエックスはボクの身代わりになったんだ。 コピーエックスはコンプレックスを抱き、自分という存在を認めてもらおうと平和の維持に執着した。 そう、イレギュラー化を恐れるあまり、無実のレプリロイドをも犠牲にして。 それはネオ・アルカディアを変えていき、人間のために罪のないレプリロイドまでもが次々と処分されていった。 ――やめて! “エックス”は何度も心の中で叫び、そして願った。 ――お願い、どうかあの子を救って! ――ハルピュイア、どうかあの子を止めて! そんな“エックス”の願いは届くことはなく、ハルピュイアはコピーエックスを決して止めなかった。 “エックス”は改めて、ハルピュイアの自分――“エックス”への忠誠心の強さを思い知らされた。 だが、今さら出て行って何かを言う資格は自分にはない。 すべては自分の弱さが招いた事なのだから。 だから……“エックス”はゼロにすべてを託した。 けれど、今度はその事がファントムを、そしてコピーエックスを死においやることになってしまった。 ――ハルピュイアを、コピーエックスを、大勢のレプリロイドを不幸にした。 ――ファントムも死なせてしまった。 ――みんな、みんな…ボクのせいだ……。 「ファントムも、コピーエックスも、みんな死んでしまった。……ボクのせいだよ」 “エックス”は細い声で、しかしはっきりと言った。 ハルピュイアは静かに首を振り、それを否定する。 「誰もが一人きりでは生きられない。あなたが望んだ事は当然至極」 「でも…ボクがいなければ………。ボクがいなければ、みんな死なずにすんだ…………」 また悲しげな表情が浮かぶ。“エックス”の底知れぬ深い悲しみ。その苦悩の深さは、今のハルピュイアには痛いほどよく分かった。 「罪は誰にでもあります。“エックス”様こそ、どうかご自分をお責めにならないでください」 「……………」 だが“エックス”の表情は変わらない。ひたすら自分を責めている表情だ。 ハルピュイアは一瞬ためらったが、“エックス”の両肩に手を乗せる。 だが、“エックス”は俯いたままハルピュイアと顔を合わせない。 「あなたはずっと御一人で、長い間自分を犠牲にして皆を守るために戦ってこられた。そんなあなたを誰にも責める事はできません。いや、そんなことオレがさせません」 “エックス”が永い時間どんな気持ちでいたのか。それをも知った今。そんな事は誰にもさせない、全てを敵に回そうと“エックス”を守るとハルピュイアは心の中で強く思った。 「エックス様。あなたのおかげで、オレはあなたに出会えました」 “エックス”はハルピュイアを見上げた。その瞳にハルピュイアの顔が映る。 瞳の中のハルピュイアが優しく“エックス”に言った。 「あなたがいてくださったから、今のオレがいるんです」 それを聞いた“エックス”の目から涙が溢れる。 「どうか、それをお忘れにならないでください」 “エックス”はハルピュイアの腕の中に倒れ込み、しがみついて声を上げて泣き出した。 ハルピュイアは黙って泣きじゃくる“エックス”を抱きしめる。 「お辛かったでしょう、“エックス”様」 ハルピュイアは“エックス”の背中を優しく撫でながら言う。 静寂が支配するサイバー空間に、しばらくの間“エックス”の静かな泣き声が響いていた。 「ありがとう、ハルピュイア」 “エックス”は涙を拭うと、顔を上げた。 もう泣いてはいない。 泣いた跡が残っているものの、どこかふっきれたような、晴れやかな笑顔だった。 「ボクは……ずっと誰かにそう言ってもらえるのを待っていた。いてもいいんだって、言って欲しかった」 「それはオレもです。あなたはオレの心を救ってくださいました」 お互い見つめあい、くすっと笑う。 だが、そんな二人だけの時間も終わりの時がやってきていた。 「そろそろ君は戻らなくちゃ……」 ハルピュイアを再び戦いに駆り立てようとしている自分に罪悪感を感じ、“エックス”の瞳が翳る。 そんな“エックス”にハルピュイアは笑って言った。 「“エックス”様。どうか笑顔で送り出してください」 「…………」 「ずっとずっと笑顔のままで…。あなたが笑顔でいてくださる事。それが、あなたがオレへ下さる最高の賜り物でしたから」 “エックス”は顔をほころばせて頷き、ハルピュイアの手を取る。 「これは…君のために歌う歌」 “エックス”はハルピュイアを思い歌う。 優しく、穏やかで、力のある声と穏やかな旋律。 それはハルピュイアへ捧げる希望の歌だった。 ハルピュイアは“エックス”の手を強く握ると、歌う“エックス”を笑顔で見つめた。 静かなサイバー空間に歌が流れ続ける。 ――今は暮れてゆく空を見送っても…。 ――いつか必ず光に溢れる夜明けは来る。 ――夜が誘う迷路に惑わされずに…。 ――いつか約束した事をどうか忘れないで。 握っている“エックス”の手の感触が次第に薄れていく。 これは自分の魂が元の体に戻ろうと、サイバー空間を去ろうとしているせいだろうとハルピュイアは感じた。 ハルピュイアと“エックス”は互いに見つめあう。 この瞬間を二人は忘れないだろう。 どんなに“エックス”がハルピュイアを守ってやりたくても、今の“エックス”にその力はなく、ハルピュイアは一人戦場へと身を投じていく。今の“エックス”にできるのは、ただ笑顔で見送ってやる事だけだ。 “エックス”はそんな自分にやるせなさと悲しさを感じるが、今はただハルピュイアのためを思って笑顔で歌い続ける。 ハルピュイアもまた、“エックス”からの巣立ちの時を感じ、寂しさと一抹の不安を感じていた。 だが、ハルピュイアの心には強い決意が芽生えていた。 自分の帰るべき世界――現実空間には、いつも傍に寄り添い、守り、守られていた“エックス”はもういない。しかし、尊敬し愛していた“エックス”が自分を頼りにしてくれている。 その想いになんとしても応えたかった。 ――未来に想いを馳せて見上げる時。 ――いつも君の隣にボクはいる。 “エックス”の歌声もその姿も次第に薄れていき、やがて、辺りに包み込まれるかのようにすべてが消えていった。 しかし、“エックス”の最後の言葉はハルピュイアの耳にはっきりと残った。 『心はいつも君と共に』 レジスタンスベースを後にしたハルピュイアは、瓦礫と化した居住区の跡地にやって来ていた。 辺りは静寂に包まれ、夜明け前の濃い青い空が広がっている。 傷はまだ完全に癒えていない。だがあのままレジスタンスベースにいるわけにはいかなかった。 ハルピュイアは瓦礫の山と化した廃墟を見つめながら、無意識のうちに手を握り締めていた。 ――今度こそ守る。守ってみせる。 ――たとえ命を失くしても……。 そう思うハルピュイアの脳裏に“エックス”の姿が浮かぶ。 “エックス”が自分にすべてを打ち明けて託したとき――ハルピュイアは“エックス”に力がほとんど残っていない事、帰るべき体を失った以上、いずれは現実空間にはいられなくなる運命だという事も知った。 もう“エックス”の歌も聴こえない。 だがその悲しみの中にも、ハルピュイアは“エックス”が自分のところに戻ってきてくれたという、奇妙な安堵感に包まれていた。 ――“エックス”様は戻ってきてくださったんだ……オレのところに。 ハルピュイアはそっと胸に手を当てる。 自分の中に宿る“エックス”の力。 悲しいとき、苦しいときも、いつもそこにいた。 そう、“エックス”はいつもハルピュイアと共にあった。 “エックス”はずっと歌と共にハルピュイアを見守っていたのだ。 ――同じ世界にいなくても、“エックス”様とオレの関係は不変だ。 ――“エックス”様はいつでもオレを見守っていてくださる。 ――だから、遠く離れてもいい。心は何も変わらない。 そう思うハルピュイアは宙に浮かび上がる。 風がふわりと優しく寄り添う。 ――オレは人間達を守るため戦い続けます。 ――見ていてください、“エックス”様! [ END ]
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