〜[ハルピュイアとエックス] ロックマンゼロサイドストーリー16〜
ハルピュイアはエックスの部屋の前に着くと、扉の前でいったん立ち止まり、手に抱えている白バラの花束を見る。 これを渡したときのエックスの笑顔を思うと、ハルピュイアは自然と胸が高鳴った。 受け取るエックスに喜んでもらえるように、ハルピュイアはいつも気を遣って花を選んでいる。白いバラの花言葉は、『あなたを尊敬する』、『純潔』。受け取るエックスへの賛辞である。 ハルピュイアはぴしっと身を正して一息つく。一歩前に進むと扉が開き、ハルピュイアは部屋の中に足を踏み入れた。 「エックス様。ハルピュイアです」 いつもなら『いらっしゃい、ハルピュイア』と出迎えの声がかかるのだが、今日は何も聞こえない。 「エックス様…?」 ハルピュイアの目に、机の上に突っ伏して眠っているエックスの姿が見えた。 その様子にハルピュイアは口元を綻ばせる。そのまま寝かしておこうとも思ったが、以前『起こしてくれればよかったのに…』と言われたのを思い出し、とりあえず声をかけてみることにした。 「エックス様。エックス様……」 ハルピュイアは花束を白いクロスのかかった丸テーブルの上に静かに置くと、眠るエックスを優しく揺り動かす。 「う……ん……」 エックスはぱっと顔を起こすと、寝ぼけ眼でハルピュイアをじっと見つめる。 「うにゅ……」 そう言うと、エックスは再び机に突っ伏してしまった。 ハルピュイアは苦笑する。 エックスがうにゅうにゅと顔の向きを変える。と、その拍子に机から紙が一枚落ちた。 ハルピュイアは落ちた紙を拾った。 それは便箋だった。紙媒体のものは今時珍しいので、ハルピュイアは便箋をしげしげと見る。便箋にはエックスらしい丁寧な字が綴られている。 「にゅー……」 その時、エックスが顔を上げた。 「…………。はっ、ハルピュイアっ!」 エックスはやっと目の前のハルピュイアに気づき、慌てて机に広がるレターセットを胸元にかき集めると、そのまま引き出しの中にしまった。 「……よ、読んだんだね…」 エックスはハルピュイアの手元に便箋が一枚あるのに気づく。 「え…あの……」 ハルピュイアは返答につまる。しばらくの間、気まずい沈黙が流れた。 「……ごめん。君に悪気はなかったんだもんね」 どうやらエックスはハルピュイアが手紙を読んでしまったと思ったらしい。ハルピュイアはその場を取り繕おうと、当り障りのない言葉を口に出す。 「その…エックス様が手紙を書かれていたとは……存じませんでした」 「うん。いつかゼロに会えたら渡そうと思って……」 「ゼロに…ですか?」 その名を聞いて、ハルピュイアは微かに眉をひそめた。 『ゼロ』とは、エックスが一介のイレギュラーハンターだった頃からの親友、先輩、指導者として導いてきた伝説の英雄の名だ。いつの頃からか、その存在は歴史の表舞台から姿を消し、今ではエックスが英雄として人々の尊敬と畏怖を一身に浴びている。 エックスから何度も聞いていたので、ハルピュイアもゼロのことは知っていた。 他のハンターとはうまくいかないエックスにとって、ゼロは尊敬でき、心を開けるただ一人の友達だった。エックスの苦しみを理解し、ずっと傍にいて守ってくれたのもゼロだけだったという。エックスの話からも、ゼロが決して悪い人物ではないことはハルピュイアもわかっていた。 だが、エックスはゼロのことを話すとき、心から嬉しそうな笑顔を見せる。そのことからハルピュイアはゼロに嫉妬を抱いていた。また、エックスを一人残していなくなるという、エックスを悲しませるようなことをしたことからも、ハルピュイアはゼロに対して良い印象は持っていなかった。 「ゼロに…ボクの気持ちを届けたくて……、時々手紙を書いてるんだ。おかしいよね。別に文通をしているわけでもないし、郵送して確実に届くわけじゃないのに……。こうして書くことで、ゼロのことを忘れないようにしたいんだ。こうでもしないと、毎日の忙しさにかまけて、ゼロとの繋がりが絶たれてしまうような気がしたから……」 ハルピュイアはエックスの話を黙って聞いていた。自分が知らないエックスの内面を知るよい機会だと思ったからだ。 「こうして書き続けていれば、いつかゼロに会ったとき、この手紙を渡す楽しみがあるって思った。手紙を書き続けてれば、ゼロにいつかきっと会えるって、ずっとずっと自分に言い聞かせてきた。けど……」 エックスはそこまで言うと、黙り込む。 ゼロを失って孤独となったエックスは悲しみを抱え、百年近くの間戦いながら苦しみ続けてきた。 気の遠くなるほど、長い長い時間。それでもエックスは再会を信じようとしてきた。 いつかまた会える。みんなが安心して暮らせる平和な世界を築けたら、そのときはきっとゼロに会える。エックスはそう思い、希望を持とうとしていた。だが現実はどうだ。時間が過ぎるごとに希望は薄れ、絶望がとって代わろうとしていた。 「……もう会えないのかもしれない。この手紙を渡せる日は来ないのかもしれない。こんなことすること自体、無意味なのかもしれない。でも……こうして書かずにはいられないんだ」 エックスは遠い記憶を呼び戻そうとしているような虚ろな表情になる。 ゼロと過ごした温かい時間、幸せな日常。それらは今となっては過去の遺物。信じる者が先にいなくなる現実、何も出来なかった自分を思い、エックスは目を伏せた。 「ハルピュイア。無駄に人生を過ごしてしまった者の気持ち、わかる? 何かしようとすればできたはずなのに、何もしようとしないで甘えてばかりで……、それで大切な人まで犠牲にしてしまって………」 その声はひどく痛々しかった。 「そんなことはありませんよ」 ハルピュイアが優しい眼差しをエックスに向けた。 「無駄な人生などない。やり直そうと思えば何度でもやり直せる…オレはそう思います」 だがエックスは目を閉じるとかぶりを振る。 「……やり直したくても、年を取り過ぎた。わかったから。どんなにやり直そうとしても、失った時間は戻ってこないし、もう元には戻れないよ」 ハルピュイアはこれ以上言うのをやめた。そんなことはないと言いたかったが、エックスの心の傷に触れて傷つけてしまうような気がしたから。 「お疲れなのでしょう。エックス様は働きすぎなのですから」 ハルピュイアはエックスの肩に手を置いて優しく慰める。 「……ごめん。しばらくの間、一人にしてくれる?」 エックスは呟くように言うと、ハルピュイアから目をそらした。 エックス様は泣こうとしておられる。 自分の胸を必要とされない。ハルピュイアはそれが悲しかった。思わずエックスの手を引き、自分の胸元に引き寄せていた。 「ハルピュイア……?」 「ご無礼をお許しください。ですが、あなたを放っておくことなどできません」 ハルピュイアはエックスを抱きしめる。エックスが悲しい時や苦しい時、その悲しみや苦しみを分かち合えるのは自分しかいないと信じ、またそうでならなければならないと思ってきたから。 「いいよ。ありがとう」 エックスはハルピュイアの胸元に頬を摺り寄せる。 「オレに何かできることがあればよいのですが…」 「君は十分やってくれてる。これ以上望んだらバチがあたるよ」 エックスは目を閉じる。 ハルピュイアはエックスの頭を優しく撫でた。 「エックス様。思ったのですが……」 エックスはハルピュイアを見上げる。 「あなたの手紙の相手。オレがその者の代わりになれないかと思うのです。試しにやってみませんか? あなたがお嫌でしたら、よいのですけど……。代わりになれないのでしたら、せめてオレにしかできないことであなたの寂しさを癒してさしあげたいのです」 エックスはハルピュイアの前で取り乱すまいと思う自制が限界にきていた。 答える代わりに、エックスはハルピュイアの背中に手を回して抱きついた。力強く抱きしめる。そうすることで泣き出すのをこらえるかのように。 「どうか…しばらくこのまま……」 泣き出すのをこらえながら、エックスは涙ぐんだ声で言った。 ハルピュイアはそんなエックスを黙って抱きしめていた。 「ありがとう。もう大丈夫だ」 エックスはハルピュイアを見上げると、ようやく笑顔を見せる。 そして丸テーブルの上に置かれた花束に気づいた。 「お花…持ってきてくれたのかい?」 「あ、はい」 ハルピュイアは花束を取ると、エックスに手渡した。 エックスは花束を受け取り、はにかみながら微笑んだ。 「いつもありがとう、ハルピュイア」 「あなたがこうして笑って下さると幸せですから」 ハルピュイアもエックスの笑顔を見て、嬉しそうに笑みを返した。 「綺麗…。白いバラの花言葉は……」 「『あなたを尊敬する』、『純潔』です」 ハルピュイアに見つめられると、エックスは照れくさそうに目を伏せた。 「あ、ありがとう…。君のおかげで花言葉にもだいぶ詳しくなったし…」 「ご迷惑でしたか? レヴィアタンにはキザと笑われましたが……」 「そんなことないよ」 エックスはくすっと笑った。 「君はロマンチストで、とっても正直で、自分の気持ちを伝えられる誠実な性格だからだと思うよ」 エックスの言葉に、今度はハルピュイアが照れ笑いを浮かべた。その頬が少しだけ紅潮する。 「じゃあ、今何か持ってくるよ。座って待ってて」 「エックス様。それくらいオレが…」 「いいんだ。その前に、この花を花瓶に生けてくるね」 エックスは身振りでハルピュイアに椅子をすすめると、自分は花を花瓶にいけようと、いそいそとサイドテーブルに向かう。 エックスが楽しげに花を一厘一厘花瓶に生けていく様子を、ハルピュイアは嬉しそうに眺めていた。 だが、突然エックスの動きが止まった。同時にエックスの周りに冷気が渦巻き、辺りの温度が急速に下がっていく。 「エックス様?」 ハルピュイアは怪訝そうに呼びかけるが返事はない。 顔は向こうを向いているので、その表情を窺うことは出来なかった。 「エックス様、如何されました?」 ハルピュイアはエックスの傍らに歩み寄り、顔を覗き込む。 しかしエックスは反応を返さない。手に花を持ったままぼんやりとしていた。 冷気によって、手に持っている花が次第に凍りついていく。 「エックス様…?」 エックスは心ここにあらずといった表情で、虚ろな瞳で花に目を落とした。そのまま手にした花を握り締める。とたんに花は粉々になって散ってしまった。 「エックス様! エックス様っ!」 ハルピュイアがエックスの肩をつかんで自分の方を向かせる。何度か揺さぶると、ようやくエックスの瞳に光が戻った。 「……ハルピュイア?」 エックスはきょとんとしたように目をしばたたかせた。そして、床に散らばる凍った花の残骸や冷気で凍りついてしまった花に気がつく。 「お花が……」 「エックス様」 いつのまにか、二人の後ろにファントムが姿を現していた。 「どこぞ具合でも?」 「ボクは……一体……」 両手を見つめながら、エックスは呆然とする。 「花を見ていて、綺麗だなあって思ってたら……何だか変な気持ちになって……、気がついたら、君が目の前にいたんだ」 エックスはしゃがむと、床に散らばった花の残骸にそっと手を触れる。 「ごめんね、ハルピュイア。せっかく君がくれた花なのに」 「よいのです。お気になさらないでください」 ハルピュイアは泣き出しそうなエックスを優しく慰めた。 「きっとお疲れなのですよ。メンテナンスを受けてみてはいかがですか?」 「…そうだね。うん、そうする…」 「後のことはオレにお任せください。ファントム。エックス様を頼む」 「承知した。さ、エックス様。参りましょう」 ファントムに連れられて出て行くエックスを、ハルピュイアは心配そうに見つめていた。 [ NEXT ]
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